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太平洋・東北アジアの民衆と、「生命をたたえ、多様性をたたえ」平和に生きる!アソシエーショナルで、エコロジカルな、他者を目的とする人間社会の自己形成をめざして
「もうひとつの日本」――「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)の「道」へ!
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「九・一一事件」以降の世界史的大激動期にはいった現代世界のなかで、ユーラシア大陸の「東の端」は、21世紀へむかって大激動の「火薬庫」のひとつである。
この「東の端」の東北アジアに位置し、アジア唯一の経済大国を誇った日本は、いま未曾有の危機にある。この危機は、ブルジョア社会はじまって以来、500年にわたる世界資本主義の根本的危機の日本に固有の形をとったあらわれに他ならない。その意味で、それは単に「戦後日本」のみならず、「明治以降の近代日本」の煮詰まった歴史的・構造的問題といえる。
加えてこの日本の未曾有の事態を、アメリカ帝国の「21世紀型戦争」によるアフガン、イラクへの戦争開始、朝鮮人民民主主義共和国への軍事的挑発などの危険による朝鮮半島の激動が、重ねて襲いゆりうごかしつつある。日本の支配階級は、戦後58年の現在、軍隊の派兵をもって、再び戦争と他民族殺戮の扉を開けようとしている。
東北アジアの激動・動乱は不可避である
この時、日本の労働者民衆は、この機を逃がさず、東アジアの民衆の運命と自らの運命を重ねて、いかに闘うか。
わたしたちは、「いま、ここ」の「生きている場」から、「もう一つのにっぽん」をめざす。
(一) 日本とは何か
わたしたちの暮らす日本列島を、「ヤポネシア」(仮称)と呼ぶ
わたしたちの住んでいる日本列島は、千島弧・本州弧・琉球弧からなり、アジア大陸へ弓形にかかる形をしている。この日本列島は、西はインド洋、東は太平洋、北はシナ海、南はセレズム海・ジロック海・フローレンス海・チモール海・オセアニアに至る(つまりユーラシア大陸の東端に北から南に5つの内海に連なりつつ)多様な民族・多様な文化・生活の、交流しあう海域の中に存在している。わたしたちは、この日本列島の島々を総称して、島尾敏雄にならって「ヤポネシア」と呼ぶ。
東アジア的視野をもった「日本」革命を構想する
わたしたちは、この日本列島に、アイヌ民族・沖縄人・在日の朝鮮人・アジア人をはじめ諸外国の人々と共に生産・労働し、暮らしている。そうであればこそわたしたちは、「日本」という呼称をふくめて「近代史」を革(あらた)めることからはじめたい。わたしたちは、それを通じて、「海の道」「陸の道」を通じて交流しあう「多様性の承認」の下に、人種や民族をこえて平和に暮らす、「国家」ではない「クニ」としての新たな協同社会を創り出すことを、21世紀に生きる自らの願いとする。
わたしたちは、「日本国家・社会は単一民族から成る」という天皇制単一民族国家観の擬制のイデオロギーや、「文明のヨーロッパ・野蛮のアジア」観などの近代西欧中心史観・発展史観から、つまり、「国家・支配者によってつくられた日本論・日本人論」を克服し、根本的に発想の異なる東アジア的視野をもった「日本」革命の扉を開けたい。
(二) 日本列島社会の特質
大銀行・大企業・自民党政治家の長期支配と「モラル・ハザード」が、社会の倫理・人倫を破壊し、日本社会は壊れつつある。―
日本資本主義、近代化100年の到達段階と基本動向
明治維新に礎石をおいた日本資本主義は、何回かのアジア侵略戦争を踏み台に、第一次世界大戦によって急速に発展し、独占資本主義となり、遅れて植民地分割をあらそう帝国主義列強の仲間入りを遂げた。第二次世界大戦は、2000万人の朝鮮・中国等アジア諸国民衆、300万人の日本民衆の犠牲、沖縄戦とヒロシマ・ナガサキをもたらして終わった。日本資本主義は、この侵略戦争の敗北後も、米軍占領下、朝鮮戦争をひとつの契機にしながら60年代に復活・発展を遂げた。さらに、70年代末には世界第2位の経済大国に、80年代半ばのプラザ合意以降、多国籍型金融・企業形態をとる、古典的帝国主義とは異なる現代資本主義となって、アメリカ帝国を基軸とするブルジョア世界支配の支柱のひとつとなった。
今日では、日本資本主義は戦後の奇跡の復活・成長から、世界同時大不況・金融恐慌状態にある。つまり金融・財政システムの崩壊、産業の空洞化、いわゆる再生産と物作りそのものの崩壊、農業解体、人口出生率の低下、そして雪だるま式にふくれあがる巨大な不良債権による国家破産の奈落の底への転落の危機である。それは、年35000人余の自殺者に象徴されるように、日々膨れ上がっていく犠牲と、全国いたるところに繰り広げられている悲劇を、労働者・農民・民衆にもたらしている。
日本の支配階級は、この危機からの脱出と再生を求めて、中国市場などへの多国籍企業の進出・拡大、国内の企業再編・リストラ、不良債権処理と金融システムの改革、行財政改革などのいわゆる「構造改革」、議会制システムと福祉国家の制度疲労・腐朽に対する諸反動立法の強行・成立をもってする国家再編の数々、アフガン・イラクへの自衛隊の出動、参戦・有事立法制定、憲法改悪などの策動を推しすすめている。しかし世界同時不況・世界金融恐慌的事態の中で失政・失策を続けて、もはやこの危機に打つ手なしの状態に陥っている。
明治の国民国家成立以来100年、日本の支配階級は、「脱亜入欧」を旗じるしに、西欧近代のシステム・価値・文化・生活様式に追いつけ・追いこせと、国内生産者・民衆への搾取・収奪と支配の強化、アジア諸民族民衆への抑圧をほしいままにして、走り続けてきた。その行き着いたところは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の夢破れ、米日安保同盟のもと、アメリカ・システムの没落の始まりに引き込まれながら、その「恐怖の同盟」の「文明的野蛮」の道連れとなろうとしている。
これが、日本資本主義と支配階級の行きついた今日の姿である。
日本資本主義の日本的構造と日本社会の歴史的特質とは何か
戦前の特質
日本資本主義は、明治以来つねに天皇制国家が主導し、「殖産興業」「富国強兵」「脱亜入欧」を掲げて、上からの官許資本主義として形成された。その初期から、アジアの諸国を侵略し、広い地域で略奪・併合をくりかえし、いくたびかの戦争を契機に肥え太ってきた。第2次大戦後もアメリカ帝国主義の朝鮮侵略戦争やヴェトナム戦争に寄生・協力して、アジア人民を収奪し、その血の犠牲の上に復活し成長してきた。
これらは、その生成と発展過程に、日本の資本主義がもつ寄生性を刻印した。またこれらは、日本が全アジアの労働者民衆の敵となり、こうした構造にあるアジアに位置する日本の革命が、固有にそれら諸国の革命や民衆の動向・なりゆきと、深く共時性をもって関連する根拠となっている。
また日本の急速な経済発展は、戦前において農村における膨大な潜在的労働力の滞留、工農間の不均衡、近代的なものと遺制的なもの、大企業と中小零細企業との二重構造、女性差別をはじめ部落・「障害者」などの重層的な差別構造、などを利用し再生産し続けることで実現されてきた。また、経済基盤の自立性の弱さの上での、急激な「上からの工業化」は、農業基盤の解体、自然破壊を通じて強行されてきた。それらは、「土を耕し、森・大地と海に生きる」という日本人本来の生存様式と思想・感性・文化を破壊した。こうして経済規模と消費エネルギー・資材との不均等、資源の海外依存度を極端に拡大しながら、日本資本主義は、その脆弱性・構造的矛盾を成長するほどに露呈していった。
戦後の特質
戦後の日本資本主義の急速な高度成長を支えたものは、戦後のドル・核帝国を基軸とする現代資本主義の一般的傾向・特徴とともに、欧米先進諸国と比べて例をみない日本固有の(戦前とも異質な)構造をもつシステムである。それは、社会的にはいわゆるブルジョア的官僚機構による行政主導のスタイル、政治的には自民党単独長期政権とその利権誘導型政治の長期的継続、産業レベルにおける護送船団方式と「日本的経営」、企業内部の労使運命共同体的統合の「日本的企業社会」形成による労働者支配の特殊な構造である。
「解説」これらの特殊な構造・システムが成立するのは、戦後も50年代末から60年代にかけてである。それは、敗戦直後の一連のアメリカの対日占領政策下のいわゆる「民主革命」の発展と挫折、アジアの諸革命の前進と米占領政策の反動的転換などの結果として、形成されたものに他ならない。日本は第2次世界大戦に敗北し、明治憲法下の天皇制専制国家−大日本帝国は解体された。日本の支配層は、象徴天皇制の存続と引き替えに沖縄を米軍に売り渡し、「主権在民・不戦・非武装」の現憲法を受け入れた。米占領下に、米占領軍によって旧財閥の解体・農地解放・戦争犯罪人の公職からの追放が行われ、共産党・社会党などの活動、労働組合が法認されたが、天皇やそれを利用した資本と政治家たちの戦争責任は曖昧にされた。戦争によって肉親・衣食住を失い、心身共に荒廃の極にあった日本の民衆は、敗戦を機に自由と平和を喜び、焼土と化したガレキの中から、生きるために起ち上がり、闘い、生活復興への力強い歩みを始めた。全国各地で始まった戦後の闘いは、再建された共産党をも一つの契機にして戦後民主革命へ発展し、ゼネストをもって占領軍と対峙するところにまで至った。その時、アジアの諸革命の動向にも規定されて、アメリカの対日占領政策が転換し、旧支配層を復活させ、「2・1ゼネスト」を圧殺・解体し、労働運動の切り崩しをはかるべくスト権を剥奪した。ここに戦後革命は挫折した。50年の朝鮮戦争が勃発するや、占領軍は、レッド・パージによって共産党を職場から追放し、戦犯を免責し、公職復帰させ、日本を対アジア「反共の防波堤」とするべく、警察予備隊(後の自衛隊)を組織して、その再軍備への道を開いた。朝鮮戦争特需を契機に、急速に復活した日本の独占資本と旧支配層を含む支配勢力は、サンフランシスコ講和条約によって独立し、沖縄の占領継続と米軍基地提供と引き換えに日米安保条約を締結した。1955年、左派社会党・右派社会党の合同、自由党と民主党の保守合同をもって、いわゆるブルジョア議会制における「55年体制」を確立し、変質しつつあった共産党を左からの補完物とする自民党単独長期政権とその統治体制が成立したのである
崩壊し始めた日本型システム
日本資本主義は、二度の石油危機とスタグフレーション(インフレーション下の経済停滞を、大合理化で乗り切り、「プラザ合意」を契機にバブル経済に入った。89年にはアメリカを、91年にはイギリスを抜いて、世界第一位の資本輸出国に登りつめ、世界市場でひとり勝ちの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称される企業大国になった。その頂点の
91年にソ連邦崩壊がおこり、資本のグローバリゼイションの第2局面が始まった。日本のバブル経済は破綻し、世界同時大不況となった。内外でうなりを上げていたジャパン・マネーは泡と消え、日本経済は「平成不況」へと沈んだ。いわゆる日本の「失われた十年」の始まりである。
「規制緩和」と「市場原理」を重視する「アメリカン・スタンダード」と「ネオ・リベラリズム」を旗印とする資本のグローバリゼイションの加速は、この大波の中に、とくに鋭く日本社会をたたき込んだ。それは、戦後の大量生産・大量消費・大量廃棄のフォード的・トヨタ的資本主義システムの行き詰まりと危機をあらわとした。全世界的に戦後高度成長を支えたフォード主義、ケインズ主義的労使協調方式と福祉国家体制の行き詰まりと動揺の中で、サッチャリズム・レーガンニズムの新自由主義的政策が台頭した。わが国においても、「戦後政治の総決算」を掲げる中曽根行革・国鉄民営化路線が、「白い革命」として、戦後社会を激変させるにいたった。多国籍企業形態をとる金融資本の多国籍化と「大競争時代」における多国籍企業・金融間の競争に勝ち残るために、戦後日本の経済・政治・社会システムの改変が不可避とされたのである。つまり、これまでの株式・信用制度などの金融システム、行財政・議会制システムが、制度疲労と腐朽現象をおこした。これが、それまでたぐいまれな強さを誇ってきた日本企業の競争力の低下・衰退をもたらし、「不況」の克服を遅らせているという危機感,ならびにそこからの脱出・回復・「上からの革命」ともいうべき「改革」への強い衝動を、大企業・大銀行を牛耳る支配階級にもたせることになった。
大恐慌の悪夢、進む金融寡頭支配
ドル建て預金で米国債を買い続けることで、アメリカの「独り勝ち」を支えてきた企業大国日本に、国家経済破綻の未曾有の危機が迫っている。物価下落・賃金カット・失業の3点セットの「デフレ」がとどまるところを知らず進行した。大手スーパー・大手ゼネコン・地場大手企業や中小企業・地方銀行・信用金庫がバタバタと倒産し続け、5%(若年層は10%以上)を超えた失業者は数百万人の規模へふくれあがりつつある。全国いたるところで日常茶飯事となった倒産・失業の悲劇は、みずほ・三菱東京・りそな・UFJなど巨大銀行が自らバブルに踊り食い荒らしたそのツケともいえる「不良債権」を処理した結果である。この10年間に、戦後蓄積された「国富」は失われ、「日本株式会社」は血行不全となり、その最後のツケが巨大金融資本の心臓部である多国籍形態をとる日本の巨大銀行に押し寄せている。
日本における金融恐慌の発現の過程で、大銀行の「弱肉強食」の銀行・企業再編の結果、六大金融グループから五大金融グループに再編され、その金融力頭専制支配が全産業を貫いて進行している。また「はげたかファンド」といわれるアメリカを中心とする外国資本が、不良債権を安く買いたたき、「公的資金」をたっぷりと投入された銀行まで買占め、それをインフレで価格が上昇したところで売り抜け、あとには残骸だけが残るというアメリカがアジアでやった犯罪の二の舞が日本社会のいたるところで繰り広げられつつある。
もはや、正常な金融システムを維持するためには、その大銀行首脳の経営責任と政府の監督責任を明確にして、銀行を丸ごと「再生法」におくか、「国有化」せざるをえないところに来ている。つまり資本主義が資本主義であることをやめる以外に解決のない、根本矛盾の発現である。
日本の巨大銀行の経営者たちも、政府と役人たちも、自らの食い荒らしたツケを、労働者民衆に転嫁して、犠牲の血を流させ、悲劇を押しつけるだけで、その責任をとるつもりはない。主体と責任を曖昧にしたこの大銀行・大企業・自民党政治家の「モラル・ハザード」が、社会の倫理を、人倫を破壊し、日本社会をおおっている。
日本資本主義の危機は根本的であり、日本社会は崩れ始めている。
(三)日本の政治支配構造と支配階級の21世紀への国家再編計画
戦後日本の政治支配構造
1、日本を支配しているのは
今日の「日本」を支配しているのは、産業・金融における株式会社制度をとる独占を基礎に、産業資本・銀行資本が癒着・融合した強大なコンツェルンとして、多国籍型形式をとる金融独占資本である。それらは、敗戦と財閥解体によってその発展の制約となっていた前近代的体質を一掃し、高度成長の過程で、都市銀行を中心に、「六大金融企業集団」として復活・成長を遂げた。現在では危機の中でその再編と金融力頭制支配体制を強め、東京三菱・みずほ・UFJ・りそな・三井住友の五大金融企業集団が、日本の産業・流通・金融のほぼ90%を系列化におき、支配している。わが国はこれらの金融独占を支柱とする資本家階級のブルジョア独裁が貫徹した国家社会である
2、対米同盟関係をどうみるか
戦後日本の対米同盟関係を、日本共産党をはじめいまだに民族的従属関係と見るものもいるが、現在のわが企業大国は自立したブルジア独裁の貫徹した国家である。しかしながら戦後「日本」が、アメリカの単一軍事占領下にあった歴史経過と戦後のアメリカ帝国を基軸国とした「パクス・アメリカーナ体制」の国際的統合的性格にもとづいて、日米安保―日米軍事同盟の下に、沖縄・本土に米軍基地を存続させ、アメリカから一定の制約を受ける関係にある。この制約と日本からする追随とは、わが国の侵略性・反動性を少しも薄めるものではない。今日の資本のグローバリゼイションの中での、グローバルパートナーシップを意味する新日米安保ガイドライン体制の下では、日本は「世界の保安官」アメリカの「副官」となって、その侵略性・反動性を際立たせている。今日の小泉内閣に典型的なように、「人類の敵」となったアメリカ帝国の「忠犬」として行動する日本国家・支配階級は、日本の生産者民衆と世界・アジアの民衆の敵である。
3、日本の国家機構・権力関係
日本の支配階級は、自衛隊・警察・監獄・官僚・行政機構・司法・教育・文化・情報手段など国家機構を把握し、三権分立下の代議制議会主義のブルジョア民主主義の統治機構と、象徴制天皇制及び天皇制イデオロギーとを最大限活用して、日本民衆を管理・支配している。と同時に、この民衆を抑圧する権力諸構造は、いわゆるこれら国家権力にとどまらず、日常生活世界の場に張りめぐらされ、諸個人の中に内面化されるに至る「見えない」権力関係にもよって、現代的に高度な支配と抑圧の体系となっている。
4、憲法と安保の関係
また戦後の「日本」国家の特徴は、戦後憲法の「絶対平和主義」が、日米安保体制の軍事的原理との抱き合わせの関係にあり、国家の深部で戦前の「大日本帝国の栄光」を継承するという複合的ねじれの中にある。第2次帝国主義・侵略戦争の敗北と、中国・朝鮮をはじめとするアジア諸国の独立と民族解放・社会主義革命への発展との関係で、天皇が「反共」と「自ら(天皇制)の生き残り」のため、「沖縄を米軍に売り渡し」た歴史的経緯もあって、「憲法9条の平和主義」は、沖縄の米軍支配と憲法第1条の「天皇条項」(「国体護持の証」であり、戦前の大日本帝国よりの継承)とセットとなり、自衛隊は「違憲」のまま存在することになった。
つまり、戦後日本国家は、日米安保同盟と「平和憲法」の異質な原理システムの抱き合わせとなっている。憲法は、「象徴天皇制」という民主主義とは無縁な第一章を残しており、普遍的人権も、「国家の公民」にのみ認めるなど、他民族や「法」外の民衆を抑圧・差別・排除する法秩序となっている。また女性差別・部落差別「障害者」差別などを再生産することになる家父長制的な家制度・戸籍制度を引きずる差別分断支配構造を特徴としている。
5、権力と諸階級の関係
このブルジョア独裁権力と日本社会の人口の約90%を占め、社会を支えている正規・パート・派遣・失業労働者・農漁民・手工業者・零細自営者・都市勤労市民などの男女・諸民族からなる生産者(消費者・生活者でもある)階級とは、本質的に決して和解しえない対立関係にある。
6、支配階級の21世紀国家戦略
日本の金融独占ブルジョアジーと、その政治代理人たちは、戦後の経済大国から「高度消費情報文明社会」へ、「戦争のできる治安国家」への国家秩序の再編・強化に向って攻撃重心を移してきている。
アメリカ帝国による「21世紀型戦争」を発動と日本への米英同盟並みの参戦(「集団的自衛権」の行使)と憲法改悪を求める外からの強制力と、日本資本主義の根本的矛盾からくる危機それ自身が、それからの脱出と価値増殖のための新たなシステム整備へ,日本の支配階級をしてつき動かしているからである。
つまり、企業社会と地域・家族、あるいは学校などのシステムによって戦後日本の高度成長を支え、そのブルジョア階級支配の安定を保証した支配秩序が、この資本の危機の中で崩壊し、資本が社会総体をこれまで通りに養い、その支配を維持してゆけなくなった結果としての、社会矛盾の激化を、国家の力で直接抑圧・支配してゆく局面に入ったのである。そうした意味で、今日の日本社会は、20世紀とは異なる社会へ変化しつつある。
資本のグローバリゼイションの中でのコンピューター情報社会のめざましい進展によって、日本の生産者階級・民衆を直接一人一人統治するシステムの進展へ、情報を媒介としたある種の〈高度消費情報文明国家・社会〉へと変化をとげつつある。
支配階級のもうひとつの国家戦略は、「戦後以来」の「安保と憲法9条」の抱き合わせ、ねじれにある戦後国家の矛盾を、日米安保=軍事同盟を基軸に、安保が「9条―平和主義」を絞殺する方向へ改変することである。その総仕上げとして、「平和憲法」改定が画策されている。それは、敗戦によって刻印された戦後の国家的制約をとり払い、名実ともに安保大国・軍事大国へ、公然と「集団的自衛権」と「武装交戦権」をもつ「戦争のできる国家・体制」をつくることにある。またそれは、アメリカのRMA(軍事革命)と、その戦争の性格の変化とともに、沖縄をはじめ、日本全国の米軍基地網と一体となった自衛隊の「国軍」化とミサイル防衛などをふくむ高度化・強化をもたらしている。
日本の支配階級は、アメリカ帝国の新アジア戦略・イラクからイラン・朝鮮人民民主主義国などへの戦争挑発と一体となって、イラクへの戦後はじめての自衛隊派兵を手はじめに、朝鮮半島・アジア・中東へ自衛隊―国軍の派遣の拡大を狙っている。
日本の支配階級の破綻と没落はさけられない
これはこれで、現代世界の激動の〈火薬庫〉となりつつある東アジアの激動を促進し、アメリカ・中国・韓国・北朝鮮との三つ巴・四つ巴の抗争に日本をたたきこまざるをえない。日本の支配階級が、これら東アジアの激動をにらんで、地政的には東アジアの丁度中心に位置する沖縄・名護に巨大米軍基地を新設し、沖縄基地の高度化、金融特区化・情報基地化を推進し、「9条改憲」を政治日程化させているのも、こうした事情に規定されてのことである。
しかし、こうした支配階級の国家戦略、ならびに東アジア・アジアへの再覇権の道は、明治以降の「近代化」と「大東亜共栄圏」を目標とした侵略戦争の敗北によって、すでにその破綻は証明されている。しかもアジアは、かつてのアジアではない。
日本資本主義と支配階級の破綻と没落は避けられない。
(四)日本の生産者階級とその闘い
社会の主人公は誰か
日本の生産(再生産)者は、すでに有業者人口の8割を越え、資本制社会の富と文化を産み出し、社会の維持・その再生産と発展を担う主要な階級で、本来の社会の主人公である。
しかし生産者であり、同時に消費者、生活者でもあるこれら階級は、社会集団としては存在するものの、伝統的な意味での主体とは大きく異なっており、階級意識によって自己形成された階級とは言いがたい状況にある。それどころか資本の全面的支配のなかで、これら社会の主人公たる主体は、大地・海などの自然や、固有の文化的伝統から根こそぎにされ、自己と他者の関係を喪失した「魂のぬけがら」となった人間、いわば「資本の廃棄物」のような存在となりはてている。よって階級も階級闘争も無用であるがごとき風潮が、この国をおおっている。だが階級矛盾は何ひとつなくなってはいない。この社会の根底には、生産手段(今日では情報・知的手段まで含む)が資本家階級の私的所有の下にあり、生きていくために自分を労働力商品として売るほかはない資本制生産様式の下で(その形態は別にして)、労働者が賃金奴隷として搾取されているという厳然たる事実がある。ただ資本の物象化作用と、生産の無政府的発展による消費財の氾濫と虚構の「繁栄」が、この階級矛盾を「視えない」もの、実感されにくいものとしているだけである。
それにもかかわらず今日において、日本資本主義の金融危機とそのシステム崩壊の進行が、新たに階級・階層分解を推し進め、本格的な階級社会の成熟をもたらしている。その腐塾の頂点において、階級矛盾は顕在化しつつある。
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【解説】支配者たちは国家政策として、銀行・大企業には「借金棒引き」と湯水のような「公的資金」の投入による「救済」措置をとり、他方で大規模なリストラ・人員整理を中高年世代から若年層にまで推し進め、失業・賃金カット・労働条件の切り下げ、厚生年金をはじめ年金、各種の医療・福祉などの社会保障制度を切捨てている。くわえて戦費のための増税が人々の生活破壊に追い討ちをかけ、貧乏人、弱者、高齢者は「死ね」と言わんばかりである。こうした事態のなかで、心身両面にわたる疲労感・消耗感はいうまでもなく老後への不安感が労働者を深くとらえ、心身の健康を蝕み、労働災害・職業病を多発させ、「過労死」「自殺」に追い込んでいる。こうした状況は、労働者に限らず、農民百姓や都市自営商工業者もおなじである。歴代農政の失政・失策によって、農業は荒廃し、耕作放棄地の増大、離農・下層農家の没落、農産物の輸入による食料自給率の低下、BSE(牛海綿状脳症)や牛乳汚染などの危機を拡大している。
とりわけ、「IT革命」はインターコミュニケーションを発展させる一方で、労働の質と編成を変え、労働者の人間的個性を解体し、人間同士の連帯を引き裂き、労働の意味を見えなくさせ、仕事を苦役にかえている。さらには、資本と国家による「労働力流動化政策」の結果、企業社会から切り捨てられ、家庭・労働組合からも流離し、ばらばらの状態で、よるべをもとめて浮遊する労働者の大群をつくりだしている。そうした結果として、自己の身体・意識・欲求のすみずみまで解体され、機械に依存し、「機械に入っていく」新しい「リゾーム状」の「マルチチュード」的主体が、日本においても大量に生み出されている。(第1章分析参照) |
富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しく
蓄積された社会的諸矛盾は、様々な発症となって深く日本社会をおおい、人間の労働・生活・文化・意識の全領域で、人々の生命とその再生産をあやうくするに至っている。人々はカネと商品の奴隷となり、投機主義と拝金主義がはびこっている。農業の荒廃と食料の自給率の低下、空気・水・土・食品の汚染の拡大、原発事故、家庭と教育の崩壊による男女関係の荒廃、子供を生まなくなった女たちと結婚しなくなった男たち、いじめ・幼児虐待・子供たちの希望をうしなった反発と荒廃、青少年の自殺の増大、ニヒリズムと人間の「分子化・リゾーム化」「暴力化」がひろがっている。そうした中で、よき伝統的な共同性や文化が破壊され、人倫の荒廃と貧寒たる精神が社会をおおい、女性、在日朝鮮人などへの様々の差別意識の煽動、天皇制イデオロギー・ネオナショナリズム・民族排外主義が強化されている。
なぜ、誠実に働くものに、貧困と悲劇が
戦後58年、明治より100年余、モノの「豊かさ」が人間の自由と解放を保障せずかえって人々の逼迫感・空洞感・不安感を強め、生きがいさえも喪失させるのはなぜか。また、資本と国家の危機が、絶えず誠実に働く生産者・民衆の貧困と悲劇に転嫁されるのはなぜか。
それは、この日本社会がひたすら利潤を追求する資本の支配する社会であり、資本の価値増殖のための効率・成果主義、また市場主義の弱肉強食の原理、物量と所得の数字の高さだけを指標とする「カネ、カネ」の価値観が、万力のように人々を締めつけているからである。また資本のイデオロギーと国家への統合のための様々な社会的・文化的意識のなかに、人々がからめ取られ、人として労働者としての「誇りと魂」を、生産現場、地域、家庭のなかで育んできた「協働関係の豊かさ」「愛する心」を、奪われていくからである。それは、ひとにぎりの巨大金融独占資本―資本家階級の手に、生産手段が排他的に所有されている資本制社会の基本構造に由来する。そのもとでは、富める者は、ますます富み、貧しいもの、持たざるものは、闘わない限りますます奪われていく。万悪の根は資本主義にある。
新たな胎動、すでに始まっている未来
壊れつつある日本社会のなかで、「繊細で、行き届いた優しさ、自然で潤いにあふれた人々」の、明日への「夢や連帯」は、打ち砕かれきってはいない。逆境のなかでもしっかりと立ち、これまでの労働・生活・生き方を問い、自身と他者の「内なる存在」に眼をむけ、質素であっても心豊かで、自由で生きがいにみちた、「人らしく生きる」新しい価値と対抗運動が、労働者・民衆・市民によって探求され始めている。
自分たちの運命は、自分で決める
1、近代国民国家と官僚主導の行政・自治体、議会制民主主義 と政党政治という既成の政治システムに対抗して、全国の地域から「自分たちの運命にかかわることは自分たちで決める」という地域住民の、「自己決定権の行使と自治」をめざす新しい大衆運動がおこり、「後戻りしない」大きな流れとなっている。
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(注)日米安保への異議申し立てである沖縄民衆の米軍基地撤去をめざす名護住民投票などの闘い、大分県湯布院の演習場移転反対と環境保全の運動、新潟県巻町の原発建設反対の住民投票, 岐阜県御高町の産業廃棄物処分場建設反対の住民投票、神奈川県川崎市の公務員採用時の国籍条項撤廃、「阪神大震災」時の市民による「生活再建援護法」制定運動、HIV患者の情報公開を求めた運動、高知県木頭村・長野県の脱ダム・県知事選、住民基本台帳ネット接続拒否の東京杉並・国分寺住民の闘い・・・。 |
住民・市民の闘いは、国家・政府の「国策」に対抗した住民投票、首長や議会のリコールと選挙・条例の制定など、時に大衆的直接行動をも辞さない直接民主主義的な方法でその足場を築き、時に国家の「補助金」によらない地域経済の自立をも追求している。また地域住民独自の知的、政治的、行政的力能を発揮し、国家権力・政府の前にたちはだかり、人権・平和的生存権・環境権・自治権を核心とする「もうひとつの公共性・もうひとつの政治」を対抗的に創りつつある。
仮に、げんざいの巨大な国家・中央政府を住民自治の可能な規模(エリア・人数)に分割し、それぞれの地域の固有の特色にあわせて「地方住民自治政府」を創るならば、すでに住民・市民は自己統治の経験と力能を成熟させつつある。
2、労働者も、「企業社会」「日本型労使関係」の崩壊と大失業時代の過酷な諸条件の下で、失業・リストラを契機に、新しい労働運動の模索をはじめ様々な闘いの芽を育み始めている。 (注) 国家的不当労働行為と闘う国鉄闘争、東芝府中などの不当解雇と闘う争議団、全日本建設運輸連帯労組や管理職ユニオンなどの「使い捨て」の解雇・リトラとの闘い、「女たちのユニオン」などの資本の差別的政策との女性労働者の闘い、「仕事をワークシェアリング」し労働者自身の手で仕事を協働して創りだし、運営していく協同組合運動、外国人労働者との連帯、地域的な共同行動・住民市民運動との連携など。
アソシエーショナルな主体が
しかし、これらの労働者の闘いは地域の住民・市民運動に比して、個人加盟のユニオン運動などの一部を除いて、総体としてはいまだ低迷状態を脱しきれてはいない。にもかかわらず「生産協同組合」をはじめ各種の「協同組合」「ワーカーズ・コレクティブ」などの実践とネットワークの形成は、かってマルクスが指摘したような「自由な生産者のアソシエーション」にいたる「可能なコミュニズム」への萌芽形態であり、協働関係のなかでの「アソシエーショナルな主体」形成への挑戦といえる。同時に地域を基盤に新しい労働者運動と住民・市民運動との結合、また都市と農村とをむすんでの活動、さらに多国籍企業が海外へその活動拠点を移している中での民際的な海外民衆との結合・連帯活動が試みられつつある。
3、さらに、自分たちの「生き方・暮らし方」を、国家・企業・市場に委ねることを拒み、自己決定権を行使する新しい社会運動が,独自のフェミニズム・エコロジーの分野で、また新しい「性同一性障害」者、心身「障害者」等の解放運動の分野で、また各種のNGOなどの運動の分野で、「市民的公共性」を持って、台頭してきている。
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【解説】女性たちの日本の国家と天皇の国家犯罪を裁いた「従軍慰安婦」の「国際民衆法廷」開催、「阪神大震災」や「日本海重油流失」のさいのボランティア活動、日韓民衆連帯行動、パレスチナ・アフガン・イラクなどへのこれらの国際的活動,「PP21」「アタック・ジャパン」をはじめ反グローバリズムの闘いなど・・・。 |
これら日本の新しい運動は、1000万をこえる世界民衆の「ノー、WAR!」の史上空前の闘いの大波にも後押しされて、国境や国家的統制をしなやかに越え、「普通の市民・民衆」として、諸外国の民衆との交流・連帯、国際的ネッワークをつくりだしつつある。
わたしたちは発見しつつある。日本資本主義のシステム崩壊の根底から澎湃としてたち上がってくるであろう「もう一つの民衆のニッポン」が、これまでとは違う質・スケールであることを。
そしてわたしたちは確信する。未来はすでに始まっている。――と。
(五)諸政党・諸政治勢力の動向
日本の巨大金融独占資本の危機からの脱出・生き残りをかけた戦後の(明治以来の)「国家・社会」の構造的大改革は、これら支配階級の利益を代弁する自民党・保守政党を自己解体と再編の過程にたたきいれている。と同時に戦後の革新平和運動を解体し、自民党長期政権のもうひとつの支柱であった社会党と、その左からの補完物であった日本共産党を無力化し、資本のシステム維持のなかに解体し取り込みつつある。
既成の諸政党はどこへいく
自民党は、その利益誘導型政治そのものが、官僚主導型の行政とともに、すでに資本主義の新たな変化と危機の克服、流離し浮遊する民衆の直接統治にとっても、古くなっており、その金権・腐敗の体質をさらけだしつつ、自壊と再編過程にある。この自民党にかわり新しい資本の統治にふさわしい政治の代理人たるべく自由党・民主党が「保守・ブルジュア政党・新民主党」として合併した。その狙いは、支配階級が進めているあらたな欧米型ブルジュア市民社会にふさわしい二大政党の確立とその交代によって民衆の不満や反抗を吸収するブルジュア統治体制の確立である。しかしそれも一時的なものにとどまり、それら相互の再編と自壊は不可避である。
左翼の解体的出直し
社・共政治勢力と一線を画して誕生し、社会主義革命を掲げてきた左翼諸派は、91年のソ連邦の崩壊以降衰退の過程にはいり、一部は民主主義派・市民派・エコロジーに転身し、一部はいまだにスターリン主義・セクト主義にしがみつき大衆から遊離し、その観念性と主観主義を強めている。総体として消滅過程にある。そうした中から、「20世紀社会主義」の破産や左翼敗退の総括、現代資本主義の変容についての分析等に取り組み、これまでの思想・理論上の自己変革を追及し、新たな革命を模索し、その主体再生に進む部分も現れている。
多様なものの尊重の上の統一・大連合を
現在の歴史的激動は、現代資本主義システムの深い基礎におけるマグマ的変動によって、その底深いエネルギーを供給され続けている。その激動が、左翼主体の解体的危機の「どん底」とおもわれたその底を更に割り、その分解と消滅過程を激化させている。この歴史的分岐点において、開始された日本の危機的激動からの出路を、現代資本主義システムを不動の大前提として神聖視するのでもない、また日米安保同盟を「運命共同体」として受容するのでもない、資本の世界にかわる「もう一つの世界」への「路」として、開いていく新たな価値と政策大系をもった新しい「革命組織」(それを20世紀のように「党」と呼ぶかどうかも含めた)は、いまだない。
それは、もはや既存の衰退・消滅しつつある左翼諸党派の再編で、成るようなことではない。全く新しい次元で、全国の至るところで「新しい働き方、暮らし方、生き方」に挑戦し、苦闘している志ある労働者民衆・市民とともに、その「出路」の主体的展望を具体的に創りだすときである。
この間、左翼の衰退のなかから、これまでの発想・枠組みを超えた協議と団結、再生への動きが一部で始まりつつある。「左翼の解体的出直し」をも辞さない気概をもつ共産主義者・社会主義者とともに、「多様なものの尊重の上の統一」への大きな流れをめざすときである。
わたしたちは、「わたしたちだけが」というセクト主義におちいることのないように、自ら戒めつつ、この出路をもとめてあえて逆風に抗して、ここに新たな一歩を踏み出す。
(六)「日本世直し」のヴィジョン――日本革命の性質と構想
「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)へ
日本の生産者・民衆の「いまここにある危機」―戦争・貧困・抑圧・支配・隷属・地球と人間のエコロジー的危機―からの解放の「出路」は、「生命をたたえ、多様性をたたえ」「太平洋・北東アジアの民衆と平和に生きる、もう一つの日本」のヴィジョンをもった「世直し」以外にない。それは「7つの理念(原理)」に掲げた、「アソシエーショナルでエコロジカルな、他者を手段とせず目的とする人間社会」「ひとりひとりの諸個人の自由な発展が万人の自由な発展となるような協同社会」をめざして、当面する「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)を実現するにっぽん革命の「道」である。
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【解説】この「日本革命」は、現代日本資本主義とその政治・社会・文化システムを廃絶し、新たな「協同原理」「環境原理」「文明原理」にもとずいて生産者・民衆がすすめるトータルな社会革命である。この社会革命は政治権力を獲得してから始まるのではなく、生産者・民衆の資本と国家による日常的な支配と闘うアソシエーショナルでエコロジカルで、倫理的でもある対抗運動を通じて、対抗権力・対抗社会(協同的諸組織・運動とその自律・自治)を地域に形成していく日常的な実践が、革命の基礎であると考える。この基盤の上にブルジュア国家権力を打倒して政治権力を獲得し、その政治権力を地域の新生事物たる自治権力に移行させ、社会革命を継続してゆくのである。この変革と解放のために、これまで以上の、「他者」としての人間を「目的」とする「他者」とのコミュニケーションの再生を含む新しい文化・意識革命が不可欠である。 |
革命・対抗運動の基本方向
わたしたちは、このトータルな社会政治革命・対抗運動の基本方向を、「理念(原理)」と日本の現実に即して、以下のように構想する。
1、自由で自立した諸個人としての生産者大衆の自己決定・自己解放の事業である。
2、わたしたちは、資本の搾取・収奪(資本―賃労働関係)の廃絶のために、生産関係のみならず所有関係を変える。資本家的私的所有のもとにある五大巨大銀行をはじめ金融機関と主要生産手段とを没収して社会的所有―「生産協同組合的諸組織とその連合」に移し、中小生産者の協同化を促し、全経済を労働者・市民・民衆の管理のもとにおく。それによって、生産と科学技術の質を変え、「地球的自然と人間復興」の「生命系の地域循環型経済」への転換をはかる。
つまり所有を生産者諸大衆の形成した「生産協同組合的諸組織とその大小の連合」に移し、その主体たる労働者・百姓・民衆が「なにを、どれだけ、どのように、つくり、分けあうか」にはじまる生産と分配から消費と廃棄まで、企業・工場・農地そして学校・病院など地域・社会の運営の万般を実質的に自己決定し、直接に統括し、自主管理する。
3、わたしたちは、生産力を解放する。それは主として人間を解放することである。めざすべき生産という経済行為は、企業・市場のためのものでなく、競争原理にもとづくものでもなく、「人間のための経済」つまり「万人が享受するとき誰にとっても役立ち続けるもの」だけを社会的に生産して、自国民衆の生活に資し、貧困と苦難にあえぐ「南」の他民族民衆の状況改善に協力すべきものである。当然にも、不必要な浪費、危険と害毒、地球環境を破壊し、汚染するものの生産をやめる。
農業における生産力の解放
また、農業において生産力を解放するとは、土や水のつまり「自然の生産力の解放である。それは、自然を搾取するような開発をやめ、自然の生態系の多様性や有機的連関と循環性を人智をもってより円滑にし、その生産性をより豊潤にすることである。
資本主義によって、破壊された日本の農業・漁業・森・林業と手仕事・手工業を復活させる。食料の自給を中心に、「小さな農業」をはじめ林・漁・畜産など有機的生命に関与する産業に格別の配慮を払う。地球と東京など大都市の温暖化を阻止し、その持続可能性を追求するための二酸化炭素などの排出規制・「ゼロエミション」の実現、原発を廃止し太陽・風などの新しいエネルギー源を開拓し、内外ともに均衡のとれた豊潤で、優しい自立した生命系循環型の経済・社会体系をめざす。
4、生活世界における文化・意識の自己改革
生産と経済の変革は、大衆的な価値観の転換を必要とする。豊かな社会を追求するが、その豊かさの基準は、資本主義とは本質的に異なるものである。それは商品・貨幣・資本を富とし、資本の自己増殖と物欲の充足を、至上価値にするところから、富を人間関係や人間と自然の調和の豊かさ、自律的で自由な時間の豊かさを尺度に置き換えていく。そのための意識、ライフ・スタイル(スロー・ライフ、スロー・フード、「より少なく働き、よりよく消費する」)をはじめ万人の日常生活からの文化・意識の自己改革が重要である。
当面する社会・政治革命の打倒対象、創られるべき自治権力
1、当面する政治革命によって、打倒されるべきものは、わが国の金融独占資本を主柱とするブルジュア独裁の権力である。
・日米核安保体制に保障されているアメリカ帝国の統制を一掃し、米軍基地を撤去し、自衛隊をなくし、天皇制を廃止することは、資本の企業社会・地域を変革していく事と一体不可分の革命的課題である。
2、革命によって創られるべき自治権力とは、生産者諸大衆の自立・自律・自治にもとづいて、根的な協同民主主義を実現し、協同諸組織や地方自治・地域自治組織を中心とした「コミューン自治」である。
・非核・非戦。あらゆる抑圧・差別・特権を廃止し直接民主主義の拡大、情報の公開の徹底。官僚の台頭を許さず,民衆の自立・自律をうながす。地域住民主権による自治可能な規模への全社会的な分権(税財源を含む)をもってする住民自治の実現。言論・情報・出版・集会・結社・宗教(信仰)の自由の保障。ならびに労働組合の結成やストライキなどの自由・移動の自由。また能力に応じた就業の権利、子どもの市民的権利・学習権の保障、人が人として育つ協同原理・生命原理による教育環境、高齢者の活動分野などの保章。病人にとっての不安のない介護、公的保障による住居・生活条件の保障。文化活動の自由・
法治・複数主義。少数派の権利が尊重される民衆主体。
・地域主権の参加と協同原理のラジカル民主主義の徹底。立法機関である国会と選挙制度の民衆的改変(国民投票、住民投票の制度化をむ)。全国的な諸「生産協同組合」「消費協同組合」などの連合と、全社会的な分権と自治の徹底とを結合して推進し、「すべてをコンミューンに」「すべてをコンミューンから」をもって、地方住民自治政府・地方自治議会の民衆的改変など、権力をしだいに生産者諸大衆の自主管理と民衆のコンミューン自治諸組織に移行・委譲する。
3、日本の政治・社会は、男性優位の男権社会であり、現代資本主義システムに組み込まれた一種の家父長制社会である。性差(ジェンダー)ゆえの女性たちへの性差別・性的抑圧は、ここに由来する。「性」にかかわる全てのことを、私人の問題にとどめず、生活・経済・労働・関係性の総体において、近代以降の母性主義・性別役割分業の社会システムと文化の組み替えをする。
・性の解放。男女平等の確立・個としての性と生殖における自己決定権の保障。女性の「クオーター制」から過小代表の克服。
4、あらゆる差別・抑圧・特権と闘い、差異を差異として認め合い、尊重する真の意味で平等な解放社会にむけての諸策を実行する。
・封建社会以来、政治的・権力的につくられてきた部落差別は、たんなる「封建遺制」ではなく資本制社会とそのブルジュア独裁にも深い基礎をおいており、部落大衆の身分的拘束からの完全解放をはかる。
・精神「障害」者、身体「障害」者の差別・排除・隔離・抹殺をゆるさない。その「障害者」なる呼称をふくめてのその解放をめざす。
5、あらゆる民族は、平等な権利と自決の自由をもつ。
この日本列島「ヤポネシア」に暮らす在日朝鮮民族,先住アイヌ民族、沖縄人、その他これからますます増えるであろう諸外国人・移民・難民などをこの日本列島社会の生産者諸大衆、民衆の自治の平等な構成員として受け入れる多民族・多文化共生の「クニ(生活協同体)」創りをめざす。
・この「クニ」創りの核心は、「多様性の統一」の下に、自治と自決(分離・独立の自由を含む)と、国民国家の内側に限定された人権概念を、「尊厳における平等」をもって改変し、「開かれたアイデンティティ」を認め合うことである。この地において、異なる文化の共生を実現し、この地に住む民衆が海を渡り、「国境をこえてゆく権利」を行使し、民主主義を「近代国民国家」の枠から解き放つ。
6、わたしたちは、これまでの「日本」「日本国民」という呼称そのもののとらえかえしにおいて、「もう一つ日本」を「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)と総称する。
「抵抗権」の行使
資本主義の現実を変革していく階級闘争において、支配階級がみずから去ることはありえない。生産者階級は、自ら立って闘い、自らこれを掃討するほかはない。わたしたちは民衆自らの直接民主主義の発揚、地域における生産・消費などの協同化など、下からの自治権力を構成する対抗運動の基盤の上に、資本と国家の弾圧に屈せず、これに抵抗し、直接的大衆行動の発展をもって闘う。
わたしたちは、一向一揆から明治維新革命にいたる維新草莽の「くっ起」、秩父蜂起や労農解放運動など、「日本」の民衆史に連綿たる抵抗の革命的伝統を継いで闘う。
つまり、「自然権としての人権」概念の実現として、大衆的自衛武装をもふくむ抵抗権の行使である。この問題で肝心のことは、生産者諸大衆を中軸とする市民・民衆の圧倒的多数を、政治的に獲得することである。
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【解説】ロシア革命・中国革命モデルの形式的あてはめや、テロリズムと小ブルジュア急進主義による「戦争―軍事路線」は、自滅への道であり、わたしたちとは無縁である。 |
革命のための広い共同戦線・大連合
わたしたちは、「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)を実現するために、資本と国家と闘う諸戦線・諸組織との広い共同戦線(統一戦線)、大連合を組織する。
・重要なことは、近代日本の社会主義・共産主義運動の「負の遺産」である「内ゲバ」を廃し、複数の革命「党」・諸組織の存在、その独自の闘いに心から敬意を払い、資本と国家との闘いを大衆的に発展させていくために、「多性の承認のもとの協働と統一」を実現することである。
日本列島から北東アジアへ、世界へ
わたしたちが提案する「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)は、トランスナショナル(国民国家を超える)な国際主義の精神に立つ日本から北東アジアへ、さらには世界規模の自治連邦への構想である。北東アジアの3、4つ巴の抗争とそれによる大激動のなかで、南北朝鮮民衆の自主的平和的統一支持とその「非核化・中立化」、沖縄の自立・自治への志向を支持し、日米安保条約を廃棄し、日米安保体制に代わる「北東アジア平和構想」「北東アジア自治共同体構想」の実現をめざす。
日本「世直し」による「日本列島弧(ヤポネシア)自治共和連邦」(仮称)の実現は、「日本」が戦争と暴力、抑圧と支配の根源の一つであることをやめ、北東アジアの平和と民衆自治を実現し、さらに資本と国家を廃絶し「生命をたたえ、多様性をたたえる」「もう一つの世界」の扉を、ここ日本から開くことである。
わたしたちは自覚している。
わたしたちの志向する「資本主義批判に立つコミュニズム」の「革命理念(原理)」は、人類史の流れのなかにある現代の歴史創造者たる生産者大衆(「現代のプロレタリア」・「マルチチュード」)のそれとして、それぞれのその地の闘いの「民衆的伝統」の「魂」の鉱脈・水脈を掘りあてその固有の表現をもつところにまで至らねば、時代の「解放思想」にはならないであろうことを。
わたしたちは、このことを深く自覚し、「日本とは何か」の根源的(ラジカル)な問いかけを自らに発しつつ、その革命の民衆的伝統を、多様な多くの回路を通じて人々とともに支えあい、結びあい、新たなヴィジョンを描いては描き直すプロセスとしての「現代コミュニズム」への「踏み分け道」をすすむことを決意する。
最後にはっきりと、言わねばならない。資本と国家とのこの新しい闘争において、わたしたちは、決して新しい歴史創造者たる搾取され、抑圧された貧しき民衆の代表者などとうそぶくつもりはない。それとは逆に、資本と国家の支配に抵抗・叛逆し、自己解放の闘いにたつこれら人々とともに、代表するのではないその自己構成する活動の担い手となる闘士であろうとする。
資本の根本矛盾の発現のなかで、現代のプロレタリア・マルチチユードが、自らの運命を自らの手に握るその瞬間の鬨の声が、かすかに地鳴りのように聴こえる。
世界いたるところの「現代のプロレタリア」「マルチチユード」、団結せよ!
「完」
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