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時代認識 わたしたちは、いま、どのような時代を生きているのか
第二部 

第二章 
戦争・貧困・失業・環境破壊の資本主義に未来はない

(一) 現代世界史は激動期に入った

 1991年のソ連邦(「二十世紀社会主義諸国体制」)崩壊と、2001年の「九・一一事件」の二つの出来事を転機として、現代世界史は歴史的大激動期に入っている。
まさに、万年、千年、百年単位の世界の大転換期の到来である。

【解説】この大激動期は、折り重なる重層的危機を発現させる混沌(カオス)と動乱の始まりの時期である。巨視的には、東アフリカの一角で類人猿から進化した人類にとって、農耕・牧畜をもって始まった文明の道に入って以来、史上三度目の類的死滅と地球環境破壊の危機である。中視的にいえば、コロンブス大航海と近代世界成立以来の資本制システムの根本的危機である。さらに短視的にいえば、20世紀の「大魔神」「悪の帝国」アメリカに象徴される「アメリカニズム」と、その世界秩序と西欧近代文明の危機である。

 「いま、ここ」で、わたしたちが立ち会っている「日本」という日本型資本主義システムの崩壊の始まりも、こうした人類の歴史と世界構造の重なりの中で、その世界的危機の現われの一部に他ならない。この背後、根本、深層にある問題は、基本的に資本制世界の根本的矛盾とその発現に由来する。
 求められているのは、この資本主義の根本原理とその世界システムを革命することであり、その世界史的主体を創生することである。
 問われているのは、その主体の生きるに価する21世紀的理念、文明原理、時代展望を、人類史的視野に立って創造することである。そのために、わたしたちは、500年にわたる資本制世界の到達段階である現代資本主義の具体的状況の具体的分析・批判から始めざるをえない。

(二) 現代資本主義の根本的矛盾の発現

 「市民(ブルジュア)社会」を解剖すれば

 これまでの階級社会史のなかで、生産者階級である民衆が創り出す社会の富と文化は、支配者として国家を握る横領者階級によってつねに横奪されつづけてきた。
 私的所有と国家の発生以来、人間の労働を媒介とする自然との生態的関係も、人間そのものを再生産する性・家族関係も、そのような支配・収奪の階級社会の構造の中に織りこまれてきた。
 ひとつの近代世界史を産み出した資本主義社会とは、土地私有化と労働力商品化を軸とする資本制的生産様式が支配的な最高度に発達した商品社会として、剰余価値の搾取に基礎をおく歴史的に特異な社会に他ならない。そのようなものとして、封建社会の没落から生れ、国民国家に総括された市民(ブルジョア)社会は、人間の社会史を「前史」と「本史」にわかつ「最後の階級社会」として人類史に位置を占めてきた。
幾千年にもわたって、闘い続けられてきた階級闘争の歴史は、この近代という資本制社会において、資本と国家を揚棄する社会全体の革命による自己解放か、人類の共滅かをかけて闘い抜かれざるをえない。

 わたしたちの生きているこの時代とは

 わたしたちの生きているこの時代、すなわち現代は、金融資本基軸の「パクス・アメリカーナ」の世界秩序の世界史的没落の始まりと、真に人間を主体として自己編成される新秩序への革命的再編過程にある。

【解説】近代史上、これまでの資本主義社会は、資本の蓄積様式によって、商人資本を基軸とする重商主義的世界編成、次に産業資本を基軸とする自由主義的世界編成、そして金融資本を基軸とする帝国主義的世界編成という歴史的発展をたどってきた。

 構造的暴力の現代世界システム

 人類史上初めての総力戦・機動戦であった二つの世界大戦を通じて、またバブル的高度成長と消費商品文明を通じて、大量生産=大量乱費のアメリカ型生産様式=生活様式が、世界全体に形成され、拡大されるに至った。
 こうしてアメリカ帝国を世界編成の基軸国として編成された戦後の「パクス・アメリカーナ」の世界体制は、前世紀のイギリスを基軸国として編成された「パクス・ブリタニカ」の世界体制とは異質な現代資本主義世界システムとして、歴史的に出現した。それは、近代科学・技術を総動員した総力戦によって異常肥大化した重工業生産力を、戦争という乱費のなくなった平時においても、ひきつづき何らかの形態において、恒常的に継承し、大量消費文明の中にビルト・インして普及してゆくということにおいて出現してきた。
 そればかりでなく、この体制は、「パクス・ブリタニカ」体制以来の、ヨーロッパ中心の工業宗主国と非ヨーロッパ世界のモノカルチャア農業植民地といった国際分業体制をも、根本からくつがえさざるをえない構造的暴力の現代世界システムであった。

(注)20世紀のアメリカのフォード・システム、さらには第二次世界大戦後の日本のトヨタシステムに典型的に見られるように、この特異な生産様式が、「平和と民主主義」の時代の大量生産・消費・情報産業型文明として、産業・労働・生活文化・意識構造の核心にビルト・インされたのである。つまり、過労死に至るテイラー主義的な単純労働の管理・下請け・孫請けの系列支配、ハイウエイによる都市の変形、職住の分離・遠隔化、大量資源の乱費、マクドナルド・コカコーラ・・・を伴う特異な文明様式として。

 また、第二次大戦後においては、現代国家による経済の組織化が、管理通貨体制を経済的てこ梃子として、先進諸国を中心として本格的に確立された。ニューディール政策によるフィスカル・ポリシーとして展開したアメリカを基軸国として、ドル・核世界体制、IMF・GATT体制が、国際連合の外皮のもとに成立し、その世界的枠組のなかで、アメリカ型生産様式・生活様式が全世界的規模において普及することになったのである。
 この特異な世界体制の外的矛盾は「南北問題」「環境問題」となって構造化し、内部矛盾は「北」のアメリカ(産軍複合体)、ヨーロッパ(EC統合)、日本(企業中心社会)の支配機構の限界へと連なっている。
 と同時にまた、この矛盾の発現は、戦後の東西冷戦の米ソ超大国の世界支配の一方の「社会主義諸国体制」の崩壊をもその深部において突き動かすものとなっていった。

 巨大金融資本の単一の世界市場の形成

 アメリカのヴェトナム戦争の敗北にともなう、1971年のニクソン新政策による金・ドル交換停止に端を発したドル本位制の変動相場制への移行は、資本の国際的移動を促進し、株式形態を取る資本制大企業が多国籍企業となって、多国籍銀行とオンラインで国際的金融市場の結びつきを発展させることによって、巨大金融資本の世界単一の資本市場を形成し強化した。

(注)アメリカのモルガン・シティーグループ、メリル・リンチなどに見られるように

 「北」の「先進」諸国の持続的高度成長をもたらした第二次大戦後のこうした現代資本主義の巨大な発展は、一方で化石燃料の膨大な乱費と地球的規模の環境破壊をひきおこし、他方で深刻な南北問題をつくり出した。
 植民地から解放されたばかりの「南」の諸国は、アメリカ的世界システムの下で、開発・工業化にとりくんだが、「北」の先進諸国の高度化された生産力に追いつくことができないままに、IMF体制の下に累積債務を加重させることになった。さらに機動力・化学肥料・農薬・バイオテクノロジーを動員したアメリカ型農業が世界市場に氾濫させた安い穀物は、「南」の農業を壊滅させるとともに、自然環境をいたるところで破壊した。
 こうして、南北問題と自然生態問題は、現代資本主義の大量生産システムを前提として、解決困難なまでに地球的規模において、構造化されたのである。

 「社会主義諸国体制」の崩壊

 さらに、こうした高度成長の結果、「北」の先進諸国では、膨大な過剰資本が蓄積され、やがて襲ってきた成長の減速と鈍化とともに、それはさらなる高い利潤―価値増殖を求めて、多国籍企業の世界市場への展開となっていった。60年代にアメリカによって開始され、ヨーロッパ・日本へと広がった巨大企業による「超国家企業」・「見えざる帝国」としてのこれらの多国籍企業形態を取った金融資本の世界市場支配の活動は、世界市場・世界銀行を不安定化させるとともに開発途上国の政治・経済を左右するものとなった。
 他方、この過程で、戦後の「東」=「社会主義諸国体制」は変質した。本来の社会主義の理想の反対物に転化したソ連邦に象徴されるように、核均衡の冷戦構造のなかで、「共産党一党独裁」下の強権力的な管理システムによって、軍産複合体の軍需重工業化を優先させる国有・国営の集権的計画経済の「国家資本主義」の「生産力」拡大を追求してきた。しかし、大衆消費社会化とソフト化による生産力の上昇を内在化できず、現代資本主義との経済競争に敗れ、下からの民主化闘争の波の中で、その共産党一党独裁の国家体制は崩壊に至った。
 現在ではそれらの諸国は、市場経済の名の下に、多国籍型企業形態をとる金融資本の世界に包摂されることになった。

 イデオロギーの危機

 現代資本主義世界は、多国籍・超国籍金融資本の主導する資本のグローバリゼイションと、ドル・核世界体制の基軸である覇権国家アメリカの世界帝国化の進展の下で、戦後的高度成長・バブル的発展から世界大不況の危機へと転化している。この中で、前世紀末のスターリン主義の「既往社会主義国家」の解体にひきつづいて、今世紀初頭における社会民主主義の「福祉国家」の崩壊がすでに生じている。ネオ・リベラリズムとネオ・ナショナリズムが同時亢進する政治的・経済的イデオロギー的危機が、いまや、全地球的に襲来しつつある。
 そのことは、同時に、戦後資本主義のバブル的高度成長の終焉とともに「帝国主義」対「社会主義」の体制間対立を陳腐なものとしてしまった。また「保守」対「革新」の日本の国内対立の〈擬制〉も、戦後「平和と民主主義」の〈擬制〉も、ともに歴史的失効を明示したのである。

 資本のグローバリゼイションとはなにか

 1989年〜91年の世界史的転回(北京天安門事件・ベルリンの壁崩壊・ソ連邦解体)は、東西冷戦の締結、社会主義諸国体制の全世界的崩壊をもたらした。同時に「資本主義の勝利」「自由民主主義の勝利」を大合唱した「西」側の資本主義に、湾岸戦争をもたらした。それとともに世界同時複合不況が到来し、パンドラの箱があいたような世界各地での、エスニシティ・マイノリティ・宗教・文化・価値観などをめぐる地域紛争の噴出の世界をもたらした。
 この世界大不況を機に、現代資本主義は冷戦時代に培った「コンピューターなど軍事技術の経済への転用でもってする高度情報技術革新」の全面的展開と、多国籍企業とアメリカ一極を中心とする資本のグローバリゼイションの新たな本格的時代が始まった。

【解説】アメリカン・スタンダードとネオ・リベラリズム」を旗印とする資本のグローバリゼイションとは、旧来の大量生産・大量消費・大量廃棄のフォード的・トヨタ的資本主義システムの行き詰まりと危機を根拠に、生産と労働・生活過程・福祉国家やブルジア民主主義諸制度と文化・意識にいたるまでの、全社会的政治構造と階級関係の根本的大改造を、資本と国家のがわから企てる生産者民衆への階級的挑戦に他ならない。
 グローバリゼイションの進行は、資本の価値増殖の暴走的自己運動によって、それまでのレベルをはるかに越えて、周辺諸国といわず、先進諸国といわず、農村・家庭などのあらゆる共同体を解体し尽くし、労働力や自然環境だけでなく、全てのものを(人間の臓器までも)商品化し、人・モノ・カネ・情報・文化・公害などが国境をこえる状況を生み出した。この結果、「北」では大不況と失業、都市の荒廃と農業の解体、国民国家・議会制民主主義などの制度疲労をあらわにし、「南」では諸国の貧困と荒廃、難民の増大・・・・が拡がってきている。

 I・T「革命」の進展が世界を変えた

グローバリゼイションのなかの現代資本主義のさらなる高次化として、原子力=核技術に加えて「高度情報通信革命」とよばれる電脳空間的テクノロジー、「遺伝子革命」などのバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの急激な「発展」が進行している。コンピューター・ネットワークによる「I・T(インフォメーション・テクノロジー)革命」は、今日の危機の中での物象化社会の発展の原動力となっている。

【解説】とりわけ、「北」の諸国の「IT革命」の推進は、国家による会の支配・管理をつよめる一方で、多国籍企業形態をとる資本の生産・流通・信用過程を変えた。その結果、「リストラ合理化」と「金融ビッグバン」にみるように、その仮想現実と実体経済の乖離をもたらし、世界・一国システムの経済・金融の未曾有の破局を、情報社会化と軍事革命(RMA)をもたらしている。
 この対極に、「南」の諸国の地球人口の五分の四の民衆に飢餓以上の地獄のような生活を強いる新たな南北格差、新たな貧富の拡大をもてらしている。

 こうして資本のグローバリゼイションは「南北」を問わず、総じて大地・森・大気・水といわず多様な生物の生態系、農林漁業資源・地球環境を破壊した。そしてまた、人の心・人間的関係・労働・労働現場を荒廃・劣悪化させ、ダイオキシンや環境ホルモン、クローン化技術による「ヒト」の複製へ手をかけるような問題にみられる如く、全ての人間の身体という、「内なる自然」をも破壊し、汚染し、現代人の人格的自律性喪失や、人間関係の失調・内面の「アイデンティティ・クライシスを」もたらしている。この頂点に、核・生物化学兵器などの開発と使用、核戦争装置の宇宙空間にまで及ぶ悪無限的な拡大がある。

 自分が呼び出した魔力を使いこなせなくなった魔法使い

 まさに、現代資本主義のグローバリゼイションの下で、「人類の死滅への行進」ともいってよい事態――次世代の生存と生命そのものの再生産と社会の再生産そのものへの、脅威と危機・人類史的危機が生じている。
 つまり、資本主義的生産様式の根本において、資本の生産力の腐朽的「発展」とその破壊力がその生産力の基礎たる人間労働力とその対象たる地球的自然の生命をこわし、「死滅」に向かって暴走することに象徴されるような、「資本そのものが資本にとっての制限」となるような根本矛盾の発現である。
 かつてマルクスの言ったように、ブルジョア的生産ならびに交通関係、ブルジョア的所有関係、すなわちこれほど強大な生産手段や交通手段を魔法のごとく呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の魔力を使いこなせなくなってしまった魔法使いに似た事態が、今わたしたちの眼前で進行している。
 資本主義の根本矛盾の発現――それはこれまで十年周期で到来した商業恐慌・産業恐慌・世界市場恐慌となってあらわれ、19世紀において結局資本の蓄積様式を高次化してきた。

【解説】それはマルクスの『共産党宣言』では、こう指摘されている。「これまでの歴史が物語っているように、商業恐慌となってあらわれ、ブルジョア社会全体の存立を脅かしてきた。この恐慌にさいして、やはりこれまでの歴史においては、これら世界資本の人格的表現であるブルジョアジーは、この矛盾の爆発の克服として、大量の過剰生産力を暴力的に破壊し、新しい市場の獲得、古い市場への徹底した搾取によって克服しようとし、それはそれでより深刻な恐慌を準備してきた。」と。

 世界恐慌の今日的特徴

 しかし、資本の蓄積様式の根幹において新しい段階を画すこととなった金融資本主義の時代には、産業資本主義の時代のような循環性恐慌による価値廃棄=破壊によって”過剰“を処理することは不可能となった。20世紀の世界戦争は、その意味で周期的な産業循環によって処理することができなくなった〈過剰〉を処理するための膨大な戦死者を含めた浪費=価値破壊であった。ところが、世界戦争の浪費によって巨大化・肥大化した生産・消費力を「平和的形態」でそのまま引き継ぎ、発展させてきた現代資本主義は、管理通貨制を経済的梃子とする金融・財政政策によって10年毎の産業・商業恐慌を操作し、変型し吸収し、高次化してきた。そのような段階での〈過剰〉は、もはや世界概念としての二十世紀におけるような「世界戦争」によって処理しようとすれば、核戦争による人類共滅しかありえないことになる。

【解説】20世紀末から今世紀初めにかけての現在をみてみよう。マルクスは、「金融資本基軸の再生産過程の全関連が信用に立脚しているような生産制度においては、全恐慌は信用・貨幣恐慌としてのみあらわれる」と先見的に指摘していた。
 それは現に、アジアの連鎖的金融危機、その後のロシアのデフォルト、そして中南米ブラジル、アルゼンチンから日本の金融危機へ、さらには金融資本の基軸国アメリカにそれは還流し、世界的信用恐慌の破局の接近としてあらわれている。
 今日ITバブルの崩壊は、その事態をさらに決定的として「9・11事態」を引きおこしている。

しかし、グローバリゼイションの進行の中で、現代資本主義の基軸国アメリカは、アメリカに本拠を置く資本によって全地球規模での生産と金融のネットワークによって支えられ、あまりに深く世界に絡み合っている。だからアメリカは、ITバブル崩壊後の世界市場から手を引くことはできず、いわゆる一九二九年恐慌とは歴史的条件を異にした危機発現に見舞われている。また、それは、資本市場での評価を企業統治の基礎にするアメリカ型企業システムを、経済制度の異なる他国に押しつけると同時に、そのシステム維持のために、自らの企業システムの粉飾と腐敗・破綻をもたらさざるをえないという自己矛盾に至っている。

【解説】こうした点からみて、巨大多国籍金融資本が食いものにしたエンロン・ワールドコムの破産は、他国に範としてきた「米国型株式資本主義」の企業システムの破綻を意味する例示である。
 それは同時に、次のことを意味している。19世紀の産業資本主義から20世紀の金融資本に転化したその金融資本主義は、ついに極限にまで成熟し、その頂点で腐敗している。そしてその自己矛盾そのものが、周辺から本国の企業統治システムの根本を直撃し、金融システム的世界危機とその破綻へと導きつつあるということを。この破綻は、資本の理念の完成形態としてある「利子生み資本」「信用・銀行制度」「法人・株式会社制度」そのものの破綻――つまり資本の「理念」的破綻である。

(三) 現代資本主義に引導を渡す、世界史的主体の創生を

 歴史的臨界点にきた資本主義の危機

 このように、資本の無制限の価値増殖のための「開発」「成長」「発展」の中で、その価値形態化作用をもってする万物の貨幣化・商品化を極限にまで推し進めた現代資本主義の歴史的生命力は、巨視的にはすでに〈歴史的臨界点〉に達しつつある。
 総じて、20世紀の「戦争と革命の時代」の全経験をのみこんで高次化してきた今日の資本主義の危機とは、人間的社会の存立そのものにかかわる、あるいは地球そのものの存続に関わる世界的危機の到来なのである。それは、世界の構造的諸問題として、これまで経験したことのないような発現形態をとりながら、戦慄的にあらわれざるをえない。
 わたしたちは、それを「九・一一事件」事態以後の今日の世界において、日々まざまざと見ている。      
      
 資本と国家への新たな挑戦

現代資本主義の世界的危機の中での「臨界域」に至るまでの「発展」が、この内部に資本主義システムにとってかわるべき新たな社会への客観的・主体的可能性をどのようにつくり出しているか。(この辺に、株式会社と協同労働、、、のつぎの社会の要素の形成の物質条件を書く)
資本の運動は、資本の直接的生産過程、流通過程、そして資本制生産の総過程から成りたっている。労働者運動、新たな社会運動は、主体解体の困難ななかからも労働社会、企業社会、市民社会の全域にわたって、それぞれの分野で新しい試み、運動を萌芽的につくり出している。

(注)それは、資本の直接的生産過程での「もう一つの働き方・生き方・暮らし方」を問う様々の労働者運動の模索であり、流通過程では、消費市場において購買者として現れる労働者や、女性・農民・市民の消費の選択をめぐる様々な運動であり、資本の信用システムとは別の労働者・女性・農民・市民の地域通貨や支払いシステムなどをふくむ様々な新たな試みである。
 現在では、これら総体が、各々の独自の質・水準・範囲をもって、資本のグローバリゼイションとアメリカの世界帝国化の下での資本・国家の支配に対する対抗運動として、新しい運動と組織を総体として形成する方向へと向いつつある。

 現代の「プロレタリアート」「マルチチユード」の可能性

 コンピューター・ネットワークの発展によって地球規模での情報のやりとりは、瞬時かつ大量に処理できるようになった。こうした現代資本主義の危機のなかで「高度情報通信革命」の「発展」は、革命と主体にとって、新しい質と課題をつき出している。
 グローバル・ネットワークは、世界中に分散する生産要素への資本の直接的アクセスを容易にする新しい交換形態を生みだし、企業の内と外を隔てる壁を、絶えず流動状態に置き、分離と結合の多様なフレキシブルな関係を資本市場にも、金融市場にもつくり出した。それは、企業・信用システムに大きな転換を迫る現代資本主義の生産と交通のあり方の劇的変容となった。
 そしてまた、「IT(インフォメーション・テクノロジー)革命」が、人類文明上、文字の発明や活字印刷の発明に匹敵する人間の間主体的なコミュニケーション行動の画期的一大発明の社会化であることは疑いえない。こうした交通様式・情報様式の変革という視点から見た「デジタル・オープン・ネットワーク革命」の歴史的意義は大きい。
 それは、地球をひとつの「村」に変える可能性をもつ。そればかりでなく、企業・信用システムのみならず地球上の社会的生活条件を根本的につくりかえる。さらにそれは、新たなネットワーク社会の形成(多種多様な分権的・自律的な「自己表出」の時空間とともに)をつくり出し、コミュニケーション上における「他者」との「双方向性」をもつ水平的・同権的・直接的関係を形成する大きな可能性を開いている。
 まさに資本制の始まり以来の、本来の世界史的主体たる「プロレタリアート」「マルチチュード(民衆)」の潜在的形成が、ここに地球的規模で始まったのである。
 このことはまた、多国籍企業形態をとる資本がつくり出す地球規模のネットワークによって統合される世界工場・世界事務所で、先進国から途上国に至る地球的規模の多様な地域で、多様な労働条件で働く差異化された労働力(労働者)が、資本の価値増殖運動を担う働き手として一つに束ねられる状況をもたらした。それは、現実には地域別・性差別・年令別・技能別に様々な分断化と階層化としてあらわれるが、他面で資本のグローバルネットに対抗する国境をこえた相互の間の協同的関係を築く可能性を、世界の生産点で生み出している。またIT革命は、生産の自動化の機械的次元をはるかに高い水準に引き上げたが、それはそれで生産者を生産過程の外に立たせ、生産者階級に産業革命以来の資本によって奪われてきた精神労働を、再び奪い返す条件の客観的成熟をもたらした。
 これらのことは、世界の生産者階級がひとつの「地球村」の住民・民衆として、これまでにないほどに国境をこえて直接に結びつけられ、マルクスが現実に可能な共産主義の主体と考えたアソシエートに連帯する「社会的個人」への自立と自由の可能性を拡げている。と同時に、きわめて異質なもろもろの多様性との共存・「協立性」を可能にする社会的主体的諸条件を飛躍的に形成している。

 「リゾーム状の主体」

 「主体」について、こうした事柄の進展とともに次のことを忘れてはならない。
 資本の「高度情報通信革命」とネットワーク社会の形成は、(とりわけ先進諸国において)これを推進する資本と国家によって、自己の身体・意識・欲求のすみずみまで解体しつくされ、機械の部分であるどころか、機械に依存し、「機械に入っていく」新しい「リゾーム状の主体」を大量に生み出しているということである。この「新しい主体」は、伝統的な意味での主体とは異なり、断片的で、「物」的で、絶えず「ずれ」を生じ、絶えず再編され、流動・流離する主体である。

【解説】19世紀のマルクスが近代の資本制社会の始源にすえた商品形態。その商品形態の最高度・全面的・全地球的な支配の行きついた果てに、大地・海などの自然や、固有の文化的伝統から根こそぎにされ、自己と「他者」の「他者性」を喪失したいわば「魂の抜けガラ」となった人間が、「資本の廃棄物」として大量に生み出されている。

 こうした状況は、現実の否定的姿としては、疎外システムの普遍化、抑圧的メディアの横行、ワイドショウ的な合意政治、あるいは新たなパラサイト的ナショナリズム、民族排外主義への、つまり危機からの脱皮を意図する資本と国家の様々なヘゲモニーの発現を可能とする道具的条件となっている。
 しかしながら、この新しい主体の「否定的」姿の中に、同時にまた資本と国家、ブルジョア的家庭や地域、企業社会にこれまでのように帰属して自己を定義することをやめた「新しい社会的個体」形成への可能性をみることができる。

【解説】20世紀において、「国家・国家と一体化した党」を中心に資本主義を廃棄していく道が結果として「国家資本主義」「一党独裁資本主義」へと帰結した経験を踏まえるならば、未来への資本主義のオルタナティブを創造する主体とは、〈国家・党〉でもなく、あくまで〈自立した諸個人〉としてアソエートする生産者大衆自身である。

 人類の未来

 もしもこの「リゾーム(蓮根)状の新しい主体」が、資本主義的価値から自由になり、自己内省を深め、自ら階級形成し、「地球村」に生きる民衆の様々な差異を尊重し、複合的な自己――他者を発見し、その多元的価値を認めあい、生産と消費の、そして民主主義の新しい様式を国境をこえ創り出し、地球と人間の「生・生命・生活」の様式のモデル転換への道を開くならば。それは、危機にある現代資本主義にとって代わる世界史的主体の、現実的形成となるであろう。
 資本のグローバリゼイションの暴走が、もたらしている人類の共滅への最悪の道を、阻むことを可能にするのは、こうした「リゾーム状の主体」「マルチチユード」の社会的自己形成にある。
 人類文明史の歴史的転換点に立って、20世紀の歴史的経験に学びながら、資本と国家の廃絶、アソシエーショナルで、エコロジカルな人間社会の自己形成への道を、長期展望をもって歩みつづけるわたしたちは、9.11事件以後の現代世界の動向に即しながら、わたしたちがさしせまって当面する政策大綱の提示にまで至る主体の構想を、こうした見地から提示する。
 人類の未来は、資本と国家のグローバリズムとネオ・ナショナリズムに抗しながら自己形成されてくる、これら「新しい主体の世界史的形成」のここにかかっている。


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