噴出する少数民族の反乱、
聖火リレーをめぐる抗議の世界的拡大
さる三月一四日、チベットの首都ラサで大規模な民族暴動が起こった。三月十日から続いた僧侶達のハンガーストライキ、自決抗議、街頭デモにたいし、中国共産党政府が銃弾による弾圧を強行。これに怒った民衆の抗議行動は、政府施設や漢人商店等の焼打ちに及び、ラサは騒乱状態に陥った。ラサ暴動は、周辺の甘粛、青海、四川などの少数民族地域にも及び、治安当局は戦車までくり出して反乱鎮圧に狂奔した。報道管制により死者、犠牲者の実態は不明だが、無差別な逮捕、投獄が行われている。
北京オリンピックを前に民族反乱の拡大を恐れた政府当局は手段を選ばぬ弾圧を行い、それがまた火に油を注ぎ、北京五輪のスローガンである「一つの世界、一つの夢」を実現するはずの聖火リレーをめぐって、世界各地でチベット民族と中国政府の人権弾圧に抗議する世界民衆の行動の拡大となっている。
また、今夏の北京での開会式へのフランス大頭領の欠席、これに抗議する中国民衆のフランス製品の不買運動などに象徴されるように、世界を揺るがす政治問題へと発展している。
チベット問題に代表される中国の民族矛盾は、なぜ、このように激化しているのであろうか。
この点を解明しておくことは、中国の民族問題を知る上でぜひとも必要と思われる。
結論を先に言えば、中国の民族矛盾が先鋭化する根本原因は、中国共産党が採ってきた民族政策そのものの誤りにあると、わたしは考える。
■中国政府の民族政策の根はどこに
では中国共産党の民族政策とは、果たしてどんなものなのか。中国共産党が護持してきた民族政策とは、他でもなくスターリンの民族政策そのものである。かれらは、スターリン主義民族政策をあたかも、それがマルクス主義的なプロレタリア的民族政策であるかのごとく宣伝してきたが、はたしてそうなのか。
そこでわれわれは、今日の中国共産党のスターリン主義民族政策にいたる歴史的由来とその特徴を、民族問題をめぐるレーニンとスターリン派との対立までさかのぼって明確に識る必要があろう。
■ロシア十月社会主義革命の
画期的な民族政策
一九一七年のロシア十月社会主義革命後、ソヴェト政権は直ちに「ロシア諸民族の権利の宣言」を発表。民族問題についての自らの立場を表明した。
それは、@ロシア諸民族の平等と主権A分離ならびに独立国家の形成にいたるロシア諸民族の自由な自決の権利Bあらゆる民族的な特権や制限の廃止、などを明記していた。
このようなソヴェト政権のプロレタリア的民族政策が非抑圧民族・民衆に与えた影響は極めて甚大であった。帝国主義の抑圧支配下にあった多くの非抑圧民族・民衆は、ロシア革命とソヴェト政権の民族政策に大きな期待を抱いたのである。そして一九一七年から二一年にかけて、ロシア以外のウクライナ、アルメニア、グルジアなど他の周辺諸国でもソヴェト政権が樹立され、そこからロシアを含むこれら諸国の間の連邦(同盟)結成の問題が浮上することとなった。連邦結成問題は、民族問題を包含していただけにきわめて慎重さと配慮を要する問題であった。
■レーニンの民族問題への基本観点
諸民族の統一、すなわち連邦問題に対するレーニンの基本的観点は、@連邦に参加する諸民族、諸共和国はその大小に関わらず全て対等・平等の立場と権利を有する。Aそれらはすべて分離・独立の自由の権利を有する。B「圧迫民族であった民族のプロレタリアートは、圧迫されていた、あるいは不平等であった民族の勤労大衆の民族感情の残滓にたいして殊更慎重でなければならない。そうして始めて国際プロレタリアートの民族を異にする分子の真に堅固たる自発的な統一の条件が生まれる」。かっての抑圧民族であったロシア民族は、被抑圧民族であった少数の民族に対して最大限の譲歩を自覚しなければならない、というものであった。
スターリンの「自治共和国化」案
これに対し、レーニンの病気を契機にソビエト政権の実権を次第に握りつつあったスターリンは、レーニンの病欠を利用し、スターリンの「自治共和国化」案にもとづく連邦結成を強行するのである。
それは、少数民族の各共和国は「自治共和国」として、ロシア共和国の傘下に入るというものであった。それは、あれこれの理由を挙げつらいながら、各民族諸国の平等の権利はもとより、分離、独立の自由の権利を認めないところに核心の問題があった。
こうしたスターリンの「自治共和国案」に対して、レーニンは、病床から「われわれは、われわれがウクライナ社会主義ソヴェト共和国等々と法的に平等であることを認め、それと平等の立場にたって新しい連邦『ヨーロッパ、アジア、ソヴェト諸共和国の連合』に加盟するものである」、と批判的立場を示した。
しかし、連邦結成問題は、こうしたレーニンの批判を受け入れることなく、それは「自治共和国化」に反対する少数民族の共産主義者への差別、排斥と党内民主主義抑圧のもとで強行された。もっとも強く抵抗していたグルジア党中央委員会は、総辞職を迫られ、重要メンバーは、左遷された。
これらの事実を知るにいたったレーニンは、政治局内でひとりスターリン派と対立していたトロッキーに同盟を求め、スターリン派との「最後の闘争」を準備する次第となる。
■レーニン「最後の闘争」から
レーニンの病床からの最後の口述書簡『少数民族の問題または「自治共和国化」の問題によせて』(レーニン全集第36巻、1956年までスターリン派によって隠され公表されなかった)は、民族問題をめぐるスターリン派とレーニンとの対立点から学ぶ上で今日でも有効である。
以下、紹介しておきたい。
「私は、悪名高い自治共和国化の問題――公式にはソヴェト社会主義共和国同盟の問題と呼ばれているが――に十分力強く、十分鋭く関与しなかった点で、ロシアの労働者に対して大きな罪を犯したようである。」「こういう事情の下では、われわれが自分の弁明に持ち出している『同盟からの脱退の自由』が、ロシアの典型的な官僚のような、真にロシア的な人間、大ロシアの排外主義者、実質上卑劣漢で暴圧者であるものの攻撃から、ロシア国内の異民族を守る力の無い、一片の反故となってしまうことは、全く当然である。」
「抑圧民族にとっての国際主義とは、諸民族の形式的な平等を守るだけでなく、生活のうちに現実に生じている不平等に対する抑圧民族、大民族のつぐないとなるような、不平等を忍ぶことでなければならない。このことを理解しなかったものは、実は小ブルジョア的見地にとどまっている者であり、したがって、たえずブルジョア的見地に転落せざるを得ないのである。プロレタリアにとって何が重要か。プロレタリアにとって重要であるばかりか、ぜひとも必要なことは、プロレタリア階級闘争に対する異民族の最大限の信頼を獲得することである。」
「もし東洋がこのように登場してくる前夜に、また東洋の目覚めが始まっているそのときに、われわれが自国内の異民族に対してすこしでも粗暴で不親切に振舞ったため、東洋でのわれわれの権威を損なうようなことがあれば、それは許すべからざる日和見主義であろう・・・。」
こうした見地から、 開催される予定であった第一二回党大会でレーニンは、民族問題を含む党の重要問題でスターリン派との全面的な闘争を決意していた。しかし、それは彼の最後の病欠によって不可能事となった。
レーニン死後の党指導権を完全に簒奪したスターリン派は、レーニンの民族政策を宣伝した少数民族の著名な共産主義者スルタン・ガリエフの粛清に始まって、一九三〇年代には少数民族の共産主義者をトロッキストとして次々に大量粛清した。強制的「農業集団化」と平行して行われた少数民族への強制移住と極寒地での苦役労働強制は残虐極まるものであった。
スターリン主義の「自治共和国化」案の本質とは、民族差別と民族抑圧の大ロシア民族主義、大国ショービニズムそのものであった。それはマルクス主義の民族政策に反対し、プロレタリア国際主義を乱暴に蹂躙するものだった。それは、レーニンが期待した東方の被抑圧民族との連帯をことごとく破壊し、かれらの期待を裏切った。しかし。スターリン主義民族政策は、ソ連邦の民族問題を解決できるはずも無く、そのもとで深刻化した民族矛盾は周知のように一九九一年ソ連邦崩壊の重要な要因となったのである。
中国共産党の「自治共和国」の実態
毛沢東の時代以来、中国共産党がそっくり受け継いできたものこそ上記のようなスターリンの「自治共和国」案に示される民族政策である。この民族政策下では、少数民族の分離、独立の権利すなわち民族自決権はけっして認められることはない。少数民族は、「自治共和国」として大漢民族下での存命しか許されないのである。
マルクス主義の民族政策から逸脱し、プロレタリア国際主義から逸脱したものは、必然的に大国ショービニズム、民族排外主義に転落していかざるを得ない。中国共産党は、近年とみに「愛国主義」を唱え、チベット問題、台湾問題など少数民族の分離、独立問題に血相を変えているが、それらはこの党の転落ぶりを示している。
ところでチベットなど中国の「自治共和国」には、真に自治と民主主義は保証されているのであろうか。「自治共和国」とは名目だけで、そこには真の自治も民主主義も許されてはいない。あるのは共産党の専制支配である。最高権力者である党書記は中央から派遣され全権を振るう。
重層化する民族矛盾と階級矛盾
近年、中国の民族闘争には、民族矛盾と階級矛盾の重層化という新しい要素が加わった。中国共産党による資本主義化政策がもたらした新たな特徴である。
「改革、解放」下の資本主義化は、沿岸部だけでなく、今や少数民族地域にも及んでいる。そこで大規模開発と新規投資を行っているのは党官僚と結託した漢人資本家達である。低所得の少数民族の民衆は、生きていくためには漢人資本家に雇われる以外に無く、かれらの搾取、収奪を受けざるを得ない。こうして、漢人資本家と少数民族労働者という新たな敵対的関係が生まれた。
少数民族の民衆は、今では被抑圧民族であるばかりでなく、被抑圧階級の地位に陥れられ、二重の抑圧支配下に置かれる状態になったのである。中国の民族問題が深刻化するのはこのような背景からである。
分離、独立を要求する中国少数民族の闘争は、中共政権の強権下でさらにはげしくならざるをえない。それは中国共産党政権の基盤を大きく揺るがす要素をはらんでいる。これら少数民族の闘争を断固支持し、これと連携する国際的連帯闘争の意義もますます高まってくる。(M)
ダライ・ラマ法王の声明
平和的な抗議行動に続いて、この数日、ラサをはじめとするチベット各地で発生している事態に深い懸念を抱いています。これらの抗議行動は、現行の中国統治下で、チベットの人々の心に深く根ざしてきた憤りのあらわれです。
これまで絶えず申し上げてきたように、武力行使による統一と安定は一時的な解決にしかなりません。武力支配下にあっては統一と安定を期待するのは非現実的であり、平和的、永続的な解決策を見出す助けとなることもありません。
したがって、私は、中国指導部に対して、武力の行使を中止し、チベットの人々との対話を通して、長年鬱積してきたチベットの人々の憤りに本気で取り組んでくださるよう訴えます。また、同胞のチベット人に対して、暴力に訴えないよう強く求めます。
2008年3月14日 ダライ・ラマ
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