第86号 書評 美術展 読者の訃報 特派員募集 編集室から
書評

『武建一 労働者の未来を語る』


究極の「労働者の人格形成」めざして(下)
(社会批評社発行、1800円+税)

脇田 憲一


 この生コン産業政策の必要性は、生コン専業企業の労使から生まれた。直営工場の場合はセメントメーカーの労使によって結ばれる賃金、労働条件の到達闘争で決められるが、生コン専業の中小企業の場合はそうはいかない。しかも業界は中小企業が圧倒的に多いから団結しなければセメントの買値はセメントメーカーの言いなり、生コンの売値はゼネコンの買い叩きにあって、経営が不安定になり生コン労働者にしわ寄せが押しつけられる。
  
 この生コン労使の必要性から産業政策と産業別労使協定が、企業側の産業近代化と労働側の賃金、生活・福祉の改善に欠かせないのである。このような産業政策闘争は関生支部が全国に先駆けて1973年から取り組み、81年までの約10年間に組織拡大と権利・労働条件向上の成果を獲得したのであった。その間、武委員長の構想力(戦略)、戦闘力(戦術)、指導力(政策)はいかんなく発揮され、日本共産党系の全自運最大組織、共産党最大の職場支部(党員約500名、赤旗約2千部)の躍進ともなった。関生支部の最大の「武器」はストライキで、生コンという半製品は、90分以内に工事現場に運搬しなければ固形化して製品にならない。ストライキの威力は絶大であった。
 「敵」もさる者、過去に三池争議で「日本一の三池労組」を打ち破った経験をもつ財界・国家権力はこれを見逃す筈はなかった。「関生支部なら1年でひねり潰す」と豪語したのは当然であった。これに怯えた日本共産党と全自運は白旗を揚げて関生支部の干渉と分裂工作に荷担した。経団連会長の大槻文平(セメント工業会会長)は「関生型運動は資本主義の根幹に触れる運動である。箱根の山は越えさせない」と挑戦を宣言したのであった。関生支部は争議解決資金の「恐喝事件」のでっち上げや、セメント工業組合の関生支部労務攻撃の「弥生会」結成をもって分裂攻撃に乗り出し、セメント資本、警察、共産党が一体となった攻撃に関生支部は立ち向かい、組織は3,500人から1,600人に半減する大打撃をうけたが、敗退することなく生き残った。「1年でひねり潰す」というセメント資本の意図は失敗したのであった。関生支部にとっては42年間の歴史の中でこの時期が最大の危機であった。この危機を乗り越えたのは共産党の裏切り攻撃に抗議して500名の党員のうちわずか2人を残して離党した幹部活動家の怒りの団結と武委員長以下関生支部を守り抜いた職場の組合員とその家族の団結の力であった。

■不況はチャンス!
 その第二点は、資本と権力と共産党による組織分裂攻撃と、協働労働権の「32項目労働協約」のなし崩し的放置にも挫けることなく闘った関生支部の反転攻勢の再建闘争である。それは武委員長の「不況は資本の弱点、労働者にとって不況はチャンスだ」という信念の具体的な実践であった。彼はさらに言う。「独占資本同士の対立矛盾、利害対立がある。また、独占資本と中小企業の対立矛盾がある。労働者と資本の対立矛盾がある。そこに差し込んでいくような対応をしていけば勝てるのですよ」と。武委員長はその逆転の発想から繰り出す、対資本、対権力、対共産党への攻撃戦術と、関生支部再建の秘策が次々と飛び出してくる。(138頁から139頁参照)
 次の動きは大阪・神戸の各生コン経営者から出てきた。その場面は本書の話からは出てこない。それはフリージャーナリスト安田浩一著『告発!逮捕劇の深層』(アットワークス刊、2005年発行、207頁)に出てくる場面である。安田のルポは書いている。「94年9月26日午後3時、大阪中之島のロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル)の一室に、いかにもクセのありそうな8人の男たちが集まった。そのうちの5人は、大阪・神戸の各生コン協組の理事たち、残り3人は、生コン産労委員長の坪田健一、同書記長の岡本幹郎、そして連帯労組関西生コン支部委員長の武建一である。経営側の5人が、武ら3人を呼び出したのである。いや、招いたと表現した方がよいのか…。」(以上は記述のまま)とある。この間、複雑な対立関係が双方共にあった。重苦しい空気のなかで話合いは始まっている。「話を切り出したのは経営側の方だった。『業界を再建したい。そのためには労組側の協力が必要だ』何を協力すればよいのか―。労組側の問いに対し、経営側はこう答えた。『広域の協同組合を設立したいと考えている。生コン価格の値戻しは、この方法しかない。ついては、アウト(アウトサイダー企業の略)を広域協組に加入させるよう、労組が動いてくれないだろうか』(後略)」これが労使双方の和解と再建スタートの出発となった。武氏の逆転の発想は見事に当たったのである。
 この労使双方の合意による関西生コンの再建は順調にスタートした。これを裏側で推進した経営側には阪南協(生コン協組)の田中裕さんというドンがいた。この人物は本書でも武委員長の話のなかにしばしば出てくるが、表現は悪いが労組側のドンと言われる武建一の頭文字とを並べて生コン業界労使の「T―Tライン」と呼ばれたりしたようだ。そして1994年7月、連帯労組関生支部、生コン産労、全港湾大阪支部の労組共闘による生コン産業政策協議会による大阪南港から大阪市内に向けてのミキサー車300台の自動車パレードと、一千人の労働者決起集会を開き、その一方で同年11月に大阪の各生コン協組(大阪、北大阪阪神、東大阪、阪南)の合併による大阪広域生コンクリート協同組合の設立総会が大阪市内のホテルで開かれ、現在に至る生コン労使の合意した広域生コン協組の設立が実現したのであった。武氏の戦略構想は見事に的中したのである。
 最後の第三点は、最初に取り上げた2005年1月の関生支部弾圧第一事件から2007年5月の第五事件まで関生支部と武委員長以下幹部活動家の国策弾圧の背景とセメント資本の狙いについてである。評者が端的におもうには、関生支部と武委員長は1982年の第一次弾圧で組織半減となる大打撃を受けながら、それに屈せずに起ち上がり、バブル崩壊の不況期においても権利と賃金・労働条件の切り下げを認めず、生コン業界再建のために生コン労組共闘と生コン協組の結合を強化して、関西生コン広域協組の実現と拡大を促進したのである。これはまさに故大槻文平氏が言う如く「資本主義の根幹にふれる行働であるから箱根の山を越えさせない」という言葉は、独裁者の言葉であって、了見が狭いのである。武氏がこの本で語っている言葉は大槻氏の言葉よりも遙かにスケールが大きいのである。

■逆境こそ仲間を育てる
 武氏曰く「やはり私は、逆境こそ仲間を鍛える、育てていくと考える。ですから、気持ちの上ではゆとりを持っています。敵の攻撃に対して、厳しいという思いをしながら、そこから活路を開いていくということではないでしょうか。そうでないと、パワーは出てこないと思いますよ」言葉の品格が違うのである。究極の「労働者の人格形成」は、こうあってほしいものだと評者は思うのである。(労働運動史研究者)



美術展
佐藤俊男コーナー

丸木美術館
 埼玉県東松山市下唐子1401 TEL 0493-22-3266
●交通は東武東上線森林公園駅南口よりタクシー10分徒歩50分、東松山駅東口より市内循環バス(平日)有り、
 詳細は美術館にお問い合わせを。


「未来」読者の訃報に接して
 昨秋から新年早々にかけて、「未来」読者であり親しくさせていただいた方の訃報が続き、心を痛めています。お一人は、生前には「未来」にも投稿いただいた東京・八王子の辻部俊介さんで、もうお一人は、やはり東京・千葉の横堀正一さんです。

●辻部俊介さんのこと
 辻部さんは、私たちが『新コミュニスト宣言』を刊行した頃はお元気で、この内容に感動したとご連絡くださり、アソシエーション社会へ資本主義を超えていく具体的プロセスについて、的確な質問・注文を投稿くださった。以来、事あるごとに、厳しいが暖かいご意見を、小さな字でびっしりと書いたお手紙を戴き、時にお呼び出し戴き、歓談させていただいた。ここしばらくは、健康を害されて、奥様のお手紙では足のしびれで、外出も叶わなかったようですが、今も「忙しいところ、ちょっと質問があるのですが。あの記事の、、ですがね、、」と電話口での品のよい声を思い出す。享年83歳、心を尽くし、自然を楽しんで生きた辻部さんに、お別れのご挨拶を送ります。

●横堀正一さんのこと
 横堀さんは、新社会党の書記長でした。新年早々の急逝に、年賀状をいただいたばかりだったので、本当に驚きました。横堀さんは、千葉高教組委員長として勇名を馳せた方で、私が「新護憲3000語宣言運動」の事務局をやっていた頃から親しくお付き合いさせていただきました。10数年前に、水害か何かで、北朝鮮に米を送る全国運動を一緒に企画し走りまわったことを、訃報に接して一番先に思い出しました。昨年も、ばったり集会で出会い、新社会党への私の注文に「わかっている」と熱心に耳を傾けてくださり、「貴方がたの会合にご無沙汰していて申し訳けない。いける時は行くから、必ず案内を送ってくれ」と話されていた。
 以下は、年賀状の結びの一行です。
「情勢は、闘い続ける以外にわれわれが生き延びるすべのないことをしめしています。協力しあって、闘う仲間の輪を広げるために今年も微力を尽くします。元旦」
 享年73歳。激動の本年、志半ばの急逝で、無念です。

 お二人から生前に受けたご厚志に、心からお礼を申し上げます。合掌。

08年1月31日 生田あい 


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「編集室から」

●いま、受験のまっただ中である。かつては、高学歴がもてはやされ大学受験が報道の対象であったが、いまや中学受験が報道の対象に登ってきている。受験する小学生の子供たちは、親同伴であちこちの中学を掛け持ちで受験をしている。受験する件数は多い子供では6カ所も受けるそうである。
 いまの子供たちは人間関係を維持することに劣っていると言われるが、本来は子供同士でふれあうために集団で行動することが必要なのに、そのことを抜きにしていきなり競争原理の世界に投げ出されては当然ではないか。現在のグローバル化した資本主義は人間性の育成をも破壊している。(山)
●「ゆりかごから墓場まで」あるいは、全国津々浦々まで、この国と世界の矛盾は、日増しに深まり、激化してやまない。そんな状況の中、当然にも、あちこちから「革命でもやらねば」という、地の声、天の声が聞こえてくる。その志や是し。だが、問題は、そこから先を、どうするのか、どうできるのかが、実にむずかしいということだ。「革命」とは主観的、観念的な空語を弄ぶことではない。正に現実己のものであり、その実行と前進、そして、勝利の問題だ。それだけの歴史的大事業を担えるだけの主体の力は、果たして存在するのか。つくり出すことが可能なのか!?(青)
●2月9日の沖縄・名護住民投票10周年集会参加のため、名護サポ−タ−・東京の取り組みとして、千葉の吉岡滋子さんと一緒に名護に行った。大阪から関生の川村さん、岡山から亀高さんも現地で合流。沖縄は予想以上に寒く、あいにくの雨模様。辺野古の新基地建設反対の座り込み現場では、火を囲んで暖をとりつつ、雨の中でもカヌ−やゴムボ―トを海に出しての海上と陸の行動が続けられていた。差し入れだという炭が赤々と燃える火のそばで、海上行動で冷えた身体を温める若者の頬にりんごのような赤みがさしてくる。それを見ながら、希望という言葉を心でかみしめていた。
 今号の編集は、こうして沖縄行きをはさんでの作業となった。校了時に、何と私が沖縄を発ったその夜に、米兵による少女暴行事件が起こっていたことを知った。急遽、1ペイジ原稿の一部を差し替えさせていただいた。許せない!怒りで身体の震えがとまらない。(生)

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