第85号 新年度の行方やいかに? グラムシ・シンポジウム 年の初めの例とて

「サブプライム」信用恐慌の全世界的爆発始まる
新年度の行方やいかに?(要旨)

いいだもも 


世界的な問題となっているサブプライムローンとは、アメリカの抵所得者向け住宅ローンのこと。その焦げ付きに端を発して世界同時株安・世界的信用不安の深刻化が起こっているのは、このローンが証券化され、分割されて「金融商品」となり、全世界に売り出されたことによっている。この信用不安の性格、その資本主義における根の深さを理論的にどう考えるか。それを主題に、いいだももさんより3万字に及ぶ大論考が寄せられた。とても「未来」の紙面に収まる量ではないので、編集部の責任でその要旨をまとめさせていただいたものが、本稿です。なお、いいださんの「信用恐慌」についての意見に異論・反論などご意見のある方は編集部までお届けください。また筆者と直接の討議を交わしたい方は、2008年も毎月第一日曜日(午後1時より、未来事務所)にて『恐慌論』を読む会をやっていますので、ご参加ください。なお、一部の中見出しなどは、編集部でつけています。(編集部)

 皆さん、平凡な挨拶ながら明けましておめでとう! 
 だが、この新年度のおめでたさは、平凡なものでは無い。
 二〇〇八年は、米ブッシュ共和党「ネオコン」極右政権がごり押しを続けているアフガン・イラク戦争が遂に敗北的終局となり、それに重合・合流して「サブプライム」信用恐慌が拡大し、その変容された「世界大恐慌」の始まりの波及・深刻化の裡で、全世界が待ちに待っていた〈パクス・アメリカーナ〉世界秩序の雪崩瓦解が現実化する、めでたいが上にもめでたい年の開幕である。
 このドル・核帝国の新年度での信用恐慌の爆発の開始は、政治的・軍事的であると共に、金融経済的でもある。ドルのアメリカと円の日本との〈安保同盟〉という運命共同体の線に沿って、米日両現代資本主義大国は、この新年度の年内にも無残な笑うべき醜態を満天下に晒すことになるだろう。


「世界一」アメリカという現代世界経済の
「エンジン」機能不全に


 現代資本主義システムの工業的・産業的生産基軸であるアメリカ証券資本主義の高原状の好景気の今日を、根底から揺さぶり始めた抵所得者向け住宅建設の「サブプライム・ローン」の瓦解の開始による投資損失は、金融業界を深刻に揺さぶり始めている。最近の同時株安の蔓延を懸念する金融庁が、株価暴落・赤字国債暴落を恐れて、「サブプライム・ローン」の深刻な投資損失の先送りを指示しているが、アメリカ連邦準備局のバーナンギ議長が、必至に金利の微調整に年十回も狂奔しているだけに、この「サブプライム損失」の前途には予断許しがたいものがある。
 これは、一九世紀から二〇世紀への世界史的転換によって、一九世紀の国際金本位制によって、大英帝国基軸の多角的工業貿易の決済を行って、世界経済を廻していた旧大陸ヨーロッパ的世界秩序〈パクス・ブリタニカ〉の世界史的崩壊から、新たに大西洋を渡った新大陸アメリカ基軸の帝国主義的ないしは金融独占資本主義的世界編成への全球的転換以来の、大転換・大激動の開始をこそ意味している。

「二十一世紀型戦争」と
「二十一世紀型恐慌」の世界的重合

 ドル・核帝国アメリカを今日牛耳っているブッシュ米共和党大統領「ネオコン」政権は、「二一世紀型戦争」と称しているアフガン・イラク戦争を発現させ、その深刻な泥沼化の一層の進展の中で、その泥沼化・戦争の国際的強行がもたらしている戦費の激増、それに起因するアメリカ国家財政の大破綻、収支半々で赤字を償えないアメリカ国家予算の財政難、原油高騰と、彼らがもう一つの「二一世紀型戦争」と称しているドル危機の激発として、耐久消費財の大量生産・大量消費の花形の一つである個人住宅の「サブプライム問題」の露出による信用恐慌の勃発・拡大の禍で、まさに、「二一世紀型戦争」と「二一世紀型恐慌」との全世界的規模における重合・大合流に由る危機が登場しつつある。
現実に発現し、存在し、増殖しているのは、ケインズ経済学がブルジョア的意味で超楽観視しているようなものでは全くなくて、不換制下の恐慌の変容現象の突発的・全面的な大爆発の現実の可能性の存
在そのものである。コンピューター化・電子システム化された現代資本主義の世界経済の「ぺイメント・システム」における貨幣=信用恐慌の発現・爆発の現実的可能性なのである。二〇〇八年に入った今日ただ今において、アメリカの住宅産業の「サブプライム・ローン」の崩壊による信用恐慌の始まりの全世界的波及として、その巨大な大激動の予兆はすでにチラリと見え始めている。
 「世界一」の現代世界経済の「エンジン」は、最早、失速しつつある。ョア的意味で超楽観視しているようなものでは全くなくて、不換制下の恐慌の変容現象の突発的・全面的な大爆発の現実の可能性の存在そのものである。コンピューター化・電子システム化された現代資本主義の世界経済の「ぺイメント・システム」における貨幣=信用恐慌の発現・爆発の現実的可能性なのである。二〇〇八年に入った今日ただ今において、アメリカの住宅産業の「サブプライム・ローン」の崩壊による信用恐慌の始まりの全世界的波及として、その巨大な大激動の予兆はすでにチラリと見え始めている。
 「世界一」の現代世界経済の「エンジン」は、最早、失速しつつある。


マルクス「貨幣論」の基本命題と
貨幣恐慌=信用恐慌の可能性

 古典的な周期的過剰生産恐慌の一九五〇年代末のケインズ経済学による「クリーピング・インフレーション」、ならびに、一九七〇年代初頭の「スタグフレーション」、更には一九八〇年代後半から一九九〇年代の「デフレーション・スパイラル」下の一時的・相対的安定のもとにおける「資産価格の暴騰・暴落の乱高下」といった歴史的な諸々の形態への形態変容とこれら諸々の形態の種差の「何故」「いかにして」の問題も、このようにして、不換紙幣下の産業循環過程の変容形態の分析によってのみ、初めて解明され得るのである。

自称マルクス経済学者は
「何故、いかにして」に答えられない

 これまでの自称マルクス経済学者たちによる〈恐慌論研究〉は、これらの具体的・具象的な現代恐慌の変容形態は、何故、そして如何にして、このように生じるのかについて、答えることが全く出来ていない。いや、それを「問う」ことにさえ失敗してしまっていると、断言するべきである。かれらは、商品の価値は、交換価値としての自己実現とその商品の使用価値としての自己実現との両項の非両立の出現である、ということについて、何一つとして理論的に了解することが出来ていない。
 詳しくは、拙著の『恐慌論』(論創社刊、二〇〇七年)を参観していただきたいが、従来の自称マルクス主義経済学者たちによる、マルクス〈恐慌論〉研究の最大の政治的欠陥と、その〈恐慌論〉研究が現実離れした性格とは、この制度の恐慌の可能性の形態と、それの「不換制」下での独自形態としての変容形態について、全く考察してこなかった点にあるといって良い。

不換制下の信用恐慌の発現

 ここから今日の不換制下の産業循環過程の歴史的な変容形態の考察・究明の重要性が結論付けられてくる。兌換制下の信用恐慌の発現を直接的契機とする「物価暴落」、利潤率の傾向的低下運動と利子率の高騰運動との矛盾の累積の大爆発によるこれら両項の非両立のことの重要性である。
 この弁証法的両項の非両立性は、必ずしもどちらか一方が、いつも自己を自己として主張するのみで、したがってまた、相殺の人為的制度の「信用主義」における無現金決
済(つまり、マルクスの言う「観念的計算貨幣によるぺイメントシステム化」)か、それともこれが崩壊・解体してしまった上での現金決済(つまり「世界貨幣」出動の重金主義の決済)か、の二者択一がいつも常に迫られるのである。
 これに対比してみて、「媒介的矛盾」とは、「価値形態」と裏表にたって〈冒頭商品〉ならびに〈労働の二重性(使用価値に表示される労働・価値に表示される労働との分離・二重化的矛盾の統一)〉におけるその「交換過程」の行き詰まり(つまり、商品の交換過程における実現という「命がけの跳躍」の途絶――売るべきものが売れない)をもたらすと同時に、この矛盾を解決する契機である〈貨幣〉を生み出すのである。

「貨幣恐慌=信用恐慌」とは

 『資本論』弁証法体系を、「貨幣恐慌=信用恐慌」の困難の露呈とその困難の変容とされている構造的仕組として究明してみるならば、「貨幣恐慌=信用恐慌」とは、本来、貨幣の「支払手段機能」に含まれている「無媒介的な矛盾」の爆発以外のなにものでもない。この「無媒介的な矛盾」とは、貨幣の支払手段機能に含まれている非現金機能(観念的価値尺度・計算貨幣=「貨幣の第一規定」)と、現金機能(支払手段=「貨幣の第三機能」)とのメタ矛盾と、これを媒介する新しい契機と、これ以上生み出すことが出来ない「無媒介的な矛盾」を有限弁証法の両項として媒介する。
 これが、資本形態の上向法の極限が「利子生み資本」「信用制度の創発・創出」によって最上限化し、それ以上の新たな契機を生み出すことが出来ない最終的・究極的根拠に他ならない。

「ぺイメント・システム」の電子化

 そこで、貨幣の「支払手段機能」に含まれている「無媒介的な矛盾」を国際金本位制の全世界的崩壊・解体以後の不換制下の今日的独自形態である「ぺイメント・システム」の電子化に着目して言うならば、マルクスの本質的な「貨幣」概念範疇、ならびに、それを内在的に密接不可分に結び付けている「貨幣恐慌=信用恐慌」の概念範疇からして、マルクス的「計算貨幣」概念範疇の今日的テクノロジーによる具体的形態化としての〈電子貨幣(デンシマネー)〉による現代資本主義世界システムの貨幣的・信用の問題が、有り得るかもしれないアメリカ・ドルの金本位制への復帰の後にも、外にもいまだ残る最大・唯一の貨幣問題の核心であることが、明確に判明する。

資本蓄積様式の最上限に、
すでに達している

 今日のグローバルな資本主義が、資本蓄積様式の最上限にすでに達してしまっている以上、これより先にも上記以上の資本の新形態の創発の可能性はもはや絶対有り得ない。
その意味で、金融独占資本主義「段階」における「利子生み資本」と「信用制度」の創発・創出は、〈資本の概念(イデー)〉として極限にまで到達し終わっているのである。
つまり、冒頭商品から始まって、貨幣=一般的交換価値↓資本の資本増殖運動としての全展開を、実物形態としても、それと不可分な観念形態としても、マルクスの謂う「感性的」にして同時に「超感性的」ないわゆる「コックリサン運動」をやり尽くした〈資本〉の弁証法体系は、有限的矛盾の運動形態として、もはやこれ以上の無限的垂れ流しは絶対に有り得なくなった。
ドル、ユーロ、元、そして不完全ながら日本の円、といった国際通貨の多極化の総仕上げと成るにちがいない。


世界資本主義のグローバルな発展史の
理論的総括のために

 上記の場合、人類文明史上の近代化過程とは、近代資本のコスモポリタン的国際性と、近代国民国家の諸民族的国家制との〈絶対矛盾的自己同一〉であり続けてきている以上、そして、商品↓貨幣↓資本の「価値形態」の上向の極限に、「利子生み資本」の自動的価値増殖運動と「株式信用資本」の信用創造運動とのアマルガム(合金)として構成されるのが絶対的極限なので在って、重商主義的世界編成下の商人資本的蓄積↓自由主義的世界編成化の産業資本主義的蓄積↓現代資本主義的世界編成下の金融・銀行資本的蓄積の上向の極限によってもはやこれ以上の事態進行は不可能である。

アメリカ経済は、
いかがなり行くのか、私の予測

 さて、〈ドル本位変動相場制〉の近未来における大崩壊の以後の「世界一」アメリカ経済は、一体全体いかがなり行くのか? まさにそれこそが、〈パックス・アメリカーナ〉世界秩序の経済的土台であるアメリカ証券資本主義の信用的・貨幣的・金融的基礎の全面解体なのであるのだからして。
 この点でわたしは、アメリカ経済が、世界一集中・集積している金貴金属すなわち、「貨幣としての貨幣」=「世界貨幣」の現金性=リアリティーに着目して、旧体制の裡に、円・マルク、ポンド、フラン、元等々として取り残されている各資本主義諸国をよそにして、アメリカ一国資本主義だけが、独り〈金本位制〉に一世紀振りに復帰するであろうと予測する。
 或る意味では、このアメリカ・ドルの〈金本位制〉への一国だけの久し振りの復帰は、今日すでに進行中の青い色をした紙くずの山だけを残して、永久に世界市場には無用となる役立たない各国紙幣として完全に消失してしまうことになるであろう。
 このような〈ドル本位変動相場制〉の全世界的土崩瓦壊が訪れてきた場合、事実上大赤字ですでに資本の国際競争力を基本的に喪失してしまっているアメリカ経済が、その抱え込んでいる大規模・巨額な貿易赤字を、いわゆる「ビナイン・ネグレクト」政策に依って完全に放置したまま、ただただ連邦銀行の輪転機を欲しいままに廻し続け、ブルーノートを刷り続けことによって日々「解決」してしまっている「魔法の手品」は、世界中の人々に完全に見破られ、近く大パンクしてしまうであろう。


〈ドル本位変動相場制〉の崩落は、
米日安保同盟下の企業大国日本に
どういう事象をもたらすのか?

 今日の日本資本主義は、他の諸国とは違って、金貨幣=世界貨幣ではなくブルーノートとして、アメリカ合衆国の「ローザ・ポンド」、さらにはアメリカ「商業銀行(コマーシャル・バンク)」に預金している。素材でいえば、ただただ青い紙切れを堆積しているばかりなのであるからして、頻発しながら各地に絶えず転置して発現している今日のドル危機が、今明年中にも大パンクして、世界的普遍性を獲得して発現するような場合がひとたび到来するならば、日本経済が溜め込んでいる世界一の貿易黒字は、たちまちただの「キツネの葉っぱ」に文字通り化けてしまうのである。それはおそらく煙草の火をつけるただの紙切れ以上には何の実際的効用も持ち得ない。
 したがって、今明年中にも必ず発現するドル危機の大爆発は、「サブプライム・トレード・投資損失」問題の爆発と結合して、今日のブルジョア経済を直撃するであろう。
 こうして、アメリカのドル危機の深化と「サブプライム・ローンの投資損失」に起因する貨幣・信用恐慌の勃発の米日安保同盟下の日本に対する経済的跳ね返りは、日本経済にとって、出来うる限りの多少の先送り、隠蔽、繰り延べ、放出等々は成し得るものの、それで完全には絶対に解決できない。
その跳ね返りの反作用は、新年度の二〇〇八年度においては、ますます一層高まり、アフガン・イラク戦争の一層の決定的な泥沼下のアメリカ経済へも逆行・逆流し、世界・日本経済の重層的悪循環の新しい局面へと踏み込まざるを得ない基本的性格を、今や帯同するに到ったのである。
 この新事態の確証が、二〇〇八年へ臨む今日のわたしたちにとって、最も重要な確認事項となっている。


結びに――時こそ来たれリ!

 現実の日本資本主義経済は、かっての「バブル景気」崩壊後の「長期不況」下で、「不良債権」問題を発振源として、深刻な金融危機が発生し、北海道拓殖銀行、山一證券、りそな銀行等々、足利銀行までも含めて合計二〇件もの「日銀特融」に基づく「信用秩序」維持のための無担保特例融資が行われ、「金融システム不安」を辛うじて切り抜けることが出来た。こうして、十年間の「デフレ・スパイラル」に及んだ小泉「構造改革」政府下で、やっと巨大不良債権の整理がついて一段落し、今度は日銀・金融省主導下に「インフレーション志向」にやっとのことで転換したところであった。
 その矢先に、今日のこの経済危機、すなわち今日の高度な日本資本主義を直撃している「サブプライム」貨幣・信用恐慌の勃発と増殖が、もはや引き返しがたく進行しつつあるということである。

信用恐慌の始まりは、
日本資本主義を直撃

 二〇〇八年の日本経済は、この差し当たり止め処の無い信用恐慌の始まりの大増殖によって〈非常時〉的に揺さぶられ続けることになろう。
 この「サブプライム問題」は、イラク戦争でのインド沖給油問題にも象徴される軍事問題であるばかりでなく、ドル危機下の経済問題である。米日安保同盟下に現に緊密不可分にある現代日本資本主義を直撃しつつあり、昨年二〇〇七年度の中間決算時点で、初めて明るみに出た国内金融部門の「サブプライム損失」は、少なく見積もっても驚く無かれ総額二兆四千億円規模にまで今や達する勢いを示している。
 昨二〇〇七年度上半期に、日本経済の管制高地である五大巨大銀行・証券グループだけで、二兆七千〜八千億円の「サブプライム」損失が見越され、昨年度下半期もほぼ同額の大赤字がすでに推定されている。
 「サブプライム・ローン投資損失」は、総額一六〇〇億円を越える超赤字となる公算が今や極めて高くなっているが、「サブプライム大赤字」は、二〇〇八年度においては、拡大しこそすれ、それが減額される可能性はもはや全くありえない。

闘いの好機到来

 いずれにしても、今日の「世界一」のアメリカが置かれているこれらの臨界閾の問題は、米日安保同盟の運命共同体化に沿って、戦後資本主義の最後の自民党政権となる福田自公連立内閣を直撃し、福田内閣は近く解散・総選挙に追い込まれ、その一か八かの衆院総選挙においても、大敗するであろう。
いうまでもないことながら、資本主義はいかに危機になろうと倒さなければ倒れない。だからこそ、私はこの間、革命主体の形成こそが環と、言い続けてきた。『恐慌論』を上梓したのも、ここのところのマルクス恐慌論の理論的認識の進化なしに、闘いの発展なし、と考えるからである。
 戦後60年間において始めてと言ってよい、闘いの好機到来である。時こそ、来たれリ!


グラムシ没後七〇周年記念シンポジウム

来栖宗孝 

 標記のシンポジウムは、二〇〇七年一二月一日(土)〜二日(日)の二日間にわたり、明治大学駿河台校舎を会場として開催された。
 アントニオ・グラムシ(一八九三〜一九三七)はイタリア・サルディニア島の生まれ、トリノ大学に学び、第一次世界大戦中にイタリア社会党に入党した。大戦終結後、トリノのフィアット自動車工場を中心とする労働者の工場評議会運動を指導し、一九一九年から二年間にわたって闘争し、機関紙「ヌーヴォ・オルディーニ」(「新秩序」)に拠って言説を展開した。一九年イタリア社会党の左派が分離独立してイタリア共産党を発足させたとき、創立者の一人となった。第二代書記長。
 一九二二〜二三年コミンテルン(第三インターナショナル)の執行委員、ウィーン滞在中にイタリア本国不在のまま一九二四年国会議員に選出され、ローマに帰還した。しかし、国会議員不逮捕特権があるにもかかわらず、ムソリニ・ファシスト政府は一九二六年、グラムシを逮捕、以後一〇年間各地の刑務所に拘禁され、病気重篤のため病院に移送され死亡した。
 グラムシは、獄中で困難と制約の下、必死に思索し探求し、「獄中ノート」二九冊を病気と闘い執筆した。第二次世界大戦終了後、これが先の「ヌーヴォ・オルディ―ネ」紙に発表した論説とともに次々に公刊され、スターリン独裁によりセクト的閉塞的となり自家中毒症状に陥ったマルクス主義のソヴィエト版(そのため一九八九〜九一年東欧人民民主主義国と本家のソヴィエト同盟政権は崩壊してしまった。)に拘束され信奉させられてきた世界のマルクス主義者と共産党員に衝撃を与えた。彼の瑞々しい柔軟な発想と各国の具体的状況の中で特性を分析する方法の新鮮さに打たれたのである。
 わが国では、一九六〇年代からグラムシ研究は本格的なものとなり、彼の没後五〇周年(一九八七年)、同六〇周年(一九九七年)のそれぞれの記念国際シンポジウムが開催され、いずれも盛況の中に成功を収めた。その記録も後日まとめて公刊された。今回の七〇周年記念では外国の研究者は九篇の報告文を寄せたが、韓国のチョ・ヒロン(曹喜胎)教授を除き来日者はいなかったのは淋しいことであった。
 しかし、開催事前に報告文書等が参加者に郵送される周到さの下、二日間に延べ四〇〇人近い人が報告を巡り熱心に討論を重ねたことは歓迎すべきことである。前二回のシンポジウムに比べ研究は深められてきたと思われる。
 筆者は、三回のシンポジウムに参加するという幸運に恵まれたが、前二回で活躍されたグラムシ研究を推進した長老達の多くの姿を見ず淋しく感じたが、世代交代が進んだのであろうか。
(元静岡大学教授)
年のはじめの例とて

かわぐちひろし 

 あけましておめでとうございます。年が明けるてのはいいものです。何十年にんげんやってても、このおもいは変わりません。いつの頃から新年の挨拶を交わすようになったのかは知りませんが、ゆく年くる年の希望を託しての交流はこころが弾みます。ものごとすべて歴史あり。まずは歴史をひき継ぎ、つくりだすの一人としての自覚を! ときの流れ、空間の広がりに身を心を放りこむ志高く! とはもうせ、わたしたちの生活の場は限りあり。スーパーマンにあらずふつうのにんげんです。この限られた場に立って新年を志すとなると……。わたしは西日本の地方都市の住人です。この市に昨年秋、おもしろいことが起こりました。「駅前整備事業」で車の送迎場設置作業が進められています。行政の推進案に対して市民の側からみどりと水と花を生かした憩いの広場両立の案がだされ、実現の署名活動が十万人目標に実施中。二〇〇七年十一月下旬に七万人突破とか。これは行政と企業のどこにでもある鉄とコンクリートとガラスの駅前整備に名を借りた破壊への市民の側からの反撃です。この心意気に打たれ署名きらいのわたしがマン・ツー・マンの話し合いして七十五人に署名してもらいました。この話し合いから感じ学びとられたのは、人びとのこころの奥深くには行政と企業が独占推進する都市「開発」イコール生活破壊ノーの志あり。ふだんは眠っているが機会あれば(このたびは署名活動の形で)爆発するということ。ともすれば先進的活動者にとらわれがちだけど、いわゆる「保守」的市民とされている人びと―デモの外側歩道を歩いている人びとのこころの奥深くに潜行せよ。かんたんに割り切るな。わたしになりに学びとられたことを生かし活かしての年のはじまりです。〈はじまりはおわり、おわりははじまり〉とももうします。今年も協同・未来やりましょう。協同・未来はわたしであり、わたしは協同・未来ですよネ!

 第85号 新年度の行方やいかに? グラムシ・シンポジウム 年の初めの例とて