| 第3回 官僚機構を見据えると日本の支配構造が見えてくる |
■倒産寸前のなかで
前号で社畜という言葉を使いました。これは終身雇用制の中で、10年一日のごとく同一の会社に通うサラリーマンの姿を揶揄したものですが、今はそれさえ懐かしがられ、うらやましがられる状況になっているのです。どうしてこんなに弱いのか、何故団結して闘わないのか、と歯がゆくなります。しかし、これを書いていて自分はどうだったのか、とふと思い起こしてしまいました。
かって、私は30年近く同一の精神科単科病院で働いていました。先駆的に開放治療を実践してきたオーナーの下で、今から考えれば何の苦労もなく、のんびりと働いてきたのですが、長期在院者が滞留し、経営的には倒産寸前という事態になり、その中でオーナーの息子さんの後継問題が浮上してきて、のっぴきならない対立関係に発展、すったもんだのあげく、出ていくか、買い取るかという恫喝の中で、全国の友人知人家族から金を集めまくり、法人株をなんとか取得しました。それまで、院長をしていたのですが、方針をなくし、外から先輩医師を招いての決断でした。辞めることも選択の一つでしたが、先輩医師を招いた後でもあり、残って闘うことにしたのです。オーナーは私の恩師でもあり、最初は息子さんを何とか継がせてやりたかったのですが、残念ながらその器でなかったということです。
この混乱は、5年ほど続きました。その混乱の最初の2年間ほど、私は言葉を失いました。病院の再建過程は、疾風怒濤の5年間でしたが、新院長を迎えての最初の2年間というものは、今から思えば、茫然としており、全く元気なく、いわばアパシー状態でした。会議でも殆ど主体的な発言は出来ず、先の症例ほどひどくはなかったものの、この病院に必要な存在ではないのではないか、チラチラ思ったものです。
■私の中で言葉喪失の終わり
経営交替し、スローガンとして「長期在院者の社会復帰を促進し、なおかつ24時間365日、精神科治療を必要とする患者を選ぶことなく受け入れる病院に!!」を確定し、措置鑑定(注:1)は言うに及ばず、警察ルート、消防ルートを選ぶことなく受け入れることを開始しました。半年ほどで、薬物専門病院と「ダルク」(注:2)機関誌に掲載されるまでになりました。精神鑑定の90%は私一人で引き受けたと思います。3年ほどで、月間の入退院が15から20人〜40人になり、ものすごく忙しい病院になりました。
労組の役員から、文句も出ましたが、「誰のおかげで給料もらってんねん!!この苦しんでいる人たちの治療看護をすることで、給料が出るんやないか」というようなことも言えるようになりました。自信を持って!!。私の中での言葉喪失の終わりでした。
つまり、方針があること、生きがい・やりがいがあること、それが経営に反映されるばかりでなく、当該病院の医療そのものも社会的に(警察にも!!)急速に評価されるようになったことで、私も含め再建への自信が確固たるものになりました。日勤・当直・精神鑑定・入院という流れを待機時間も入れると連続40時間勤務になることもしばしばでしたが、少しも疲れを感じないでこなすことが出来たものです。
■「格差社会」でなくむき出しの「階級社会」だ
さて、現在の労働者階級の実態は、先に紹介した症例に表現されたように、私が体験したような生き甲斐や、やりがい等、到底望めない状態に追い込まれていると考えられます。
雨宮処凜は、「格差社会」ではなく、「階級社会」と鋭く言い換える(文献:3…前号)ことによって現在の日本を規定しています。何と懐かしい言葉ではありませんか。
柄谷行人は、マルクスの階級規定の「資本家、労働者、地主」だけでは決定的な誤りで、「それは、税を徴収し、再分配する階級としての官僚機構」をマルクスは見落とした、とまで言いきっています。「それは膨大な人口を占め、削減は困難で、それはそれ自身のために存続しようとするから。それが国家の実態だと思う。」(文献:4…前号掲載 国家と神とマルクス・佐藤 優からの孫引き)。こうして、古典的な階級矛盾の観点の中に、官僚機構を据えてみると、現在の日本の支配構造が非常に鮮明に見えてくるのではないでしょうか。
雨宮は同書に小泉チルドレンで元厚生官僚の国会議員の片山さつきの暴言を紹介しています。「仕事はある。でも、日本の若者は長続きしないの。すぐやめちゃうのよねえ。中南米やアジアからの労働者は黙々と働いているのに…」(文献:3…前号)というようなことを言って、嘆いてみせます。この、東大・財務官僚上がりの議員の脳天気ぶり、いや、支配階級意識の露骨さは噴飯ものです。虐げられる外国人労働者への想像力はなきに等しく、また、最近、ちょくちょく新聞報道されますが、研修と称して導入された外国人労働者への収奪(低賃金ピンハネ・タコ部屋への監禁・パスポートの取り上げ)の構造的人権侵害…奴隷的労働が制度化されているという意味でも国辱ものと思うが…への温かい視線は一切感じられません。
一方では、支配の側の危機意識と思われる文書もあちこちに出ています(資料5、6、7)。たまたま見かけた江戸時代の恩田木工の「斯くいふは理屈といふものなり」(資料:8)はなかなか面白い。労働者派遣法違反の自社の実態に開き直り、「法律が悪い」と言った御手洗経団連会長に読ませたいくらい。又、辺見は今のマスコミを糞バエ呼ばわりしていますが、川崎泰資のメディア批判も鋭い。(資料:9)
■精神障害者化される労働者階級
さて、かって精神科医仲間で精神障害者解放の闘いに連帯するための闘いのスローガンに「労働者の解放なくして精神障害者の解放なし!!精神障害者の解放なくして労働者の解放なし!!」と掲げてきました。当時の私は、この二つの階層を、それぞれ独立した二つとしてみていたように思います。つまり、非常に観念的であったと思うようになりました。
現在、先に述べたケースからも言えるごとく、絶対窮乏化される、精神障害者化される労働者階級とハッキリと言いきれると思います。診察室という密室の精神医療ではなく、文字通り外に開かれた精神医療を!!と考えています。資本の論理によって作り出された不安定雇用から、意図的にニート、フリーター、更に精神障害者は作り出されてきているのです。診察室という言わば個に切り離された空間での治療では、決定的に不十分と考えるゆえんです。(以下次号)
| 編集部注―文中の小見出しは編集部の責任でつけています。 |
注1:措置入院鑑定:精神の障害があって、自殺など自身を傷つけ、他人に危害を及ぼすおそれがあるとき、精神鑑定を行い強制的に精神科病院に入院させることが出来る。これを自傷他害のおそれあるもの、と簡略化して言う。
注2:ダルク 薬物依存症の自助組織で、覚醒剤や安定剤中毒に陥った人たちが集まり、ミーティングを行い、再び薬物使用に陥らないように相互に励まし合い、断薬状態を維持していこうとしている。アルコール依存症には、AAとか断酒会がある。最近といっても10年以上になるが、GAという組織もあり、これはパチンコなど、ギャンブル依存症者の集まりである。
資料5:株主、社員は悲惨! ファンドに会社を売り渡す経営者…「非上場化」を囁き貪る巨大マネー 問われるトップのモラル
WEDGE 07年3月号
巨大ファンドが、会社の株主になり、配当を要求し、利益を上げたらさっと撤退し、株主、社員は泣きをみるばかり、というお話。利益が出ると、最低半年で売却してしまう(例として、学生援護会が書かれている。奨学金を取り扱っているところか?びっくりしたなあもう!!)。業績が悪い会社になると、付けは株主、社員に回され、ファンドは売り抜けるそうだ。村上、ホリエモンなどは日本では犯罪とされてしまったが、世界的には当たり前になっているようだ。それにしても資本主義にモラルを求めるなんて、マルクス主義的にはあり得ない話だが。こうした話は専門外で私の手に余るので、誰かわかりやすく解説してほしいものだ。
資料6:品質は下請けに丸投げ トヨタでも広がる生産現場軽視 部品メーカーの反発も…日本の製造業は大丈夫か 同前雑誌・無署名記事より
史上空前の利益を上げているトヨタも、生産現場と経営サイドの乖離が始まっており、トップ企業の危機意識のなさは、日本の製造業全体の危機を招くと警告している。
資料7:人事制度はオリジナルがいい…成果主義の見直しを 白潟敏朗 同前雑誌より
一時もてはやされた成果主義、評価主義がうまくいってないからこういう記事が出てくるのだろう。
資料8:斯く言ふは理窟といふものなり 古典を開く・経営を拓く No・28 舟橋晴雄
同前雑誌より
…江戸中期の筆者不詳の「日暮硯」の解説文だが、信州真田藩の財政再建を果たした恩田木工という財政担当奉行の人心掌握ーそれも武士から百姓に至るまでーの見事さを簡潔にまとめている。
資料9:今メディアを問う!権力を批判できぬメディアに存在価値なし 川崎泰資 大阪保険医新聞07年1月5/15合併号
目次を拾うと、「市場原理主義の安倍政権に無批判 日本を破壊する改憲・翼賛、新自由主義政治 怯まず、国民にわかりやすい報道を」とある。川崎は、東大卒、NHKで政治部、ボン支局長などを経て現在椙山女学園大学客員教授。公共放送としてのNHKと政治の関係など多数の著作があるようである。小泉以降広がった格差問題などに、切り込まないメディアを厳しく批判している。わたしは、資本家、労働者、地主+官僚機構(柄谷)に加えて、マスメディアを統治機構の一つとして加えたいくらいだ。
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著者のいいだももさんを講師に、毎月第一日曜日に一年間の予定で講座を開きます。ご参加ください。
第4回 12月2日(日)午後1〜5時
場所/中野「未来政策研究機構」(住所・電話は本紙1頁右上奥付をご覧ください。
急ぎの場合は090−4714−7466)
参加費/500円(会場費とお茶代)
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2007年12月1日(土)〜2日(日) 明治大学駿河台キャンパス
http://members3.jcom.home.ne.jp/sada.m/junbikai.html
会場:リバティー・タワー地下1階
全体会のテーマ
1…グローバリゼーションとグラムシのヘゲモニー思想
2…『獄中ノート』解読をめぐる理論的諸問題
−−−グラムシ研究の10年とこれから
■2007年12月2日(日)<2日目> 9:00開会
会場:アカデミー・コモン2階(リバティータワーの隣り)
分化会のテーマ
3…日本現代史とグラムシ研究
4…21世紀における知識人・教育の役割
5…21世紀における文化・メディアの役割
6…自主・協同・民主主義の運動と思想
−−社会運動の理論と運動の検証をかねて
7…グラムシと現代思想
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グラムシ没後70周年記念シンポジウム実行委員会
■事務局 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-11 望月ビル4F 言論NPO『現代の理論』内
■電話 03-3262-8505 ■ FAX 03-3264-2483 ■ E-mail: gramsci@18.alpha-net.ne.jp
かつて一世を風靡した新左翼運動は、その創生から半世紀をへた今日、日本では全く衰退してしまった。最早、「理論的血統」の正統性を争う論争には意味がないであろう。運動を再生するためには、「新左翼運動とは何だったのか」という総括が求められていると思われる。
(1)スターリン主義批判と「唯一前衛党」論
新左翼運動の創出の大きな要因にはスターリン主義批判にあった。トロツキー等の理理を基礎に、スターリン主義を社会主義への過渡期における「世界革命の放棄」と「一国社会主義論」として捉えた。または、伝統的共産党の体制内化に対して、暴力革命論や武装闘争の着手を対置した。
しかし、スターリン主義が、革命党の絶対化による疎外形態であることへの組織論的批判が不十分であり、結局、その「唯一前衛党主義」を引き継ぐものとなってしまった。そこから、党派対立が激化した。また、大衆運動とのかかわりも、「党派の路線の貫徹」「党を主語にした大衆運動」となってしまい、スターリン主義の「伝道ベルト論」と大差のないものになってしまった。
党内民主主義と党員主権、革命党の複数主義といったテーマが、強く復権されなければならない。また、党と大衆の機械的区別ではなく、その本来の相互関係の模索も必要となっている。
(2)ロシア革命や中国革命をモデルにした革命理論
新左翼運動は、第二次世界大戦後の戦後革命期が一度退潮した後の1960年前後に創生された。ロシア革命や中国革命で完成された理論モデルを基礎に、しかし、階級的基盤は脆弱なままに、「先鋭なたたかいで、早急に革命情勢を実現する」という理論でたたかわれた。革命の理論モデルとしては、「武装したソビエトと一斉蜂起」「持久的な革命戦争」等である。そして、「革命の現実性」という認識がその基礎となっていた。
当時の時代背景として、中国革命はほんの少し前の出来事であったし、ロシア革命すらそんなに遠い記憶ではなかった。さらに、キューバ革命があり、ベトナム解放闘争が始まっていた。
しかし、歴史は新左翼各派の理論モデルとは全く違った経過を辿って21世紀に行き着くこととなった。「資本主義の最後の段階」である帝国主義は、その青年期である自由主義段階に匹敵する期間を既に歴史に占めている。
問題は、新左翼諸党派が歴史環境の変化にその「戦略」の見通しを対応させて発展させることができなかったことである。したがって、今日、現実に対して、全くリアリティーのない「革命論」を持て余している、という現状となっている。もともと、マルクス、レーニン、毛沢東の革命論は、パリコミューンや、1905年と17年のソビエト、また、国民党軍の一部の革命の側への移行と敵の包囲という、「現実に提出された問題」への「ひとつの回答」であった。ところが、その革命の総括を、「党派が『革命の型』を提起して、それに基づいて階級闘争を発展させる」としたところに誤りがあったと思われる。「戦術」が状況で変化するように、「戦略」も歴史環境によって変化しなければならない。現実の階級闘争を革命的に、すなわち反資本主義的にたたかう中で、21世紀の革命の戦略的方向性を模索していかなければならない。現在現実に起きていることを真剣に対象化していくことが必要であろう。
(3)日本の新左翼と労働運動
日本の新左翼党派の労働運動戦略は、総評労働運動に結集している労働者こそが革命的階級であるという認識の下に立てられた。総評労働運動を指導している社共に変わって革命派がヘゲモニーを取ることで、事態は革命的に転換する、というものであった。
しかし、これも歴史は予想と違う様相を示した。総評は連合へと右翼的に統一され、本当に搾取されている労働者の多くが未組織の不安定雇用労働者として放り出されることになった。総評を前提とした新左翼党派の労働運動論では、全く事態が打開できない情勢となった。
総評の「企業内組合と本工主義」を克服し、戦闘的な既存労組の防衛と、新たな不安定雇用労働者の労働組合的団結を作り上げていくことが課題と言える。
(4)暴力革命論の総括
新左翼運動が想定したロシア革命や中国革命型の暴力革命は20世紀後半には成就しなかった。各派は、「都市ゲリラ戦争」の継続を試みたが成功しなかった。スターリン主義の弾圧や「内ゲバ」の凄惨さは、多くの民衆に暴力への拒否感を生み出した。
帝国主義の支配が暴力装置による以上、革命において暴力の問題は避けて通れないであろう。「自衛」と「抵抗」が軍事行動を正当化する唯一的なテーマである。
今後の革命の構想を模索していく場合、暴力革命論との関係では、軍隊の動向が大きな問題になるであろう。実はロシアや中国の革命でも、軍の解体や反乱が革命の形態を規定したのである。
現在、帝国主義本国における軍の「市民化」は、軍隊解体における大衆運動の役割の比重を高めている。また、ベネズエラなど南米で進行している事態は、選挙と大衆行動、軍の階級移行が新しい形で連動している。
大衆運動の発展だけが、新しい革命論の問題を現実に提出するであろう。(つづく)
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