第66号(2006年1月号) 沖縄非合法共産党 編集室から

連載 最終回
沖縄非合法共産党問題、ウソをつく日本共産党「刺客」

島ぐるみ運動への
米政府の切り崩し

 プライス勧告反対の島ぐるみ運動≠ヘ、沖縄戦後史における激動の中でも、極めて象徴的な大衆運動の到達点を示す記録となっている。
 ただ残念だったのは人民党、非合法党および革新勢力には民衆の怒りと抵抗を持続させる力量が弱くて、結果的に、米国政府の切り崩しの策謀に保守派政治家たちが動揺して裏切り、統一行動が分断されて島ぐるみ運動≠フうねりに限界を来してしまったことだ。しかも米民政府へ呼ばれた比嘉秀平任命主席がそこで出されたコーヒーを飲んで帰宅後の夜に、主席公舎で急死(コーヒーに混入の遅効性薬で毒殺説も)した事故で政治情勢が激変したことも重なった。


 と言うのは比嘉主席の死後、米国はプライス勧告を容認する民主党幹部の当間重剛氏を手順よく後任主席にすえて、既定の戦略を基に軍事基地の拡大強化を断行した。
米軍の土地強奪について私はすでに報告したが、看過しえないのは伊佐浜における土地接収反対闘争に取り組んできた、非合法党の国場幸太郎幹部が白昼コザ(現・沖縄市)にあるバス停留所で、米軍CIC(対敵諜報部隊)に突然拉致される事件が起きたことだ。
 国場氏が拉致される直前に、実は国場氏と接点があった普天間在の高校教師で非合法党員の前原穂積氏が、伊佐浜の街頭でCICに拉致連行されて、基地内で厳しい尋問を受けての供述で「一九五四年入党して以来、沖縄細胞で活躍し、党の秘密機関紙の発行に従事していた」(沖縄タイムス、五五年八月二五日付)と自白していた。国場氏の拉致事件はその直後に起きている。
 前原氏がCICに告白している「秘密機関紙」とは、非合法党機関紙『民族の自由と独立のために』(B4型、週刊)のことで、それは国場氏を編集責任者として党内で密かに発行していたもので、前原氏はガリ切りを担当していた。その前原氏の自白で危険を感じた党側は急遽編集体制を見直し、新編集部は上原清治幹部を責任者として知念聡、大峰林一らが担当して、那覇の楚辺地域で発行を続けた。
 この機関紙は党の情報伝達として党員、支持者に配布されたが、現在、第2号(創刊号欠)から10号までが残っていてその現物は、このほど不二出版から刊行された『戦後初期 沖縄解放運動資料集』第2巻に全文を収録してあるから、付記しておく。

沖縄の党には無縁だった
「六全協」決議

 それから今も記憶に残る出来ごとは、戦後日本共産党が方向転換を期したとされる重要な「六全協」問題を討議するために、沖縄においても非合法党会議が招集され三日間にわたり、「六全協」決議文書について議論したが、党幹部の説明に出てくる「火炎ビン闘争、極左冒険主義、一九五〇年党分裂、党内の所感派(主流)対国際派(反主流派)の対立抗争」などに関する問題点は、沖縄の党員にはほとんど無縁だったせいか、正直なところヤブから棒∞寝耳に水≠フようで、あまりピンと来ないのが実感だった。
 しかし、折角の機会だからと沖縄独自の点検をやった。そしたら各党員から様々な意見が出され、克服すべき問題点が浮き彫りになった。中でも党幹部らの旧態依然たる硬直した融通の利かない指導スタイルや、緊急な課題を分析する理論思想レベルの低さへの不満、そして注目されたのが瀬長亀次郎党首への根深い個人崇拝≠フ党風が活動現場での弊害になっている――との批判の声が相次いだことだった。
 個人崇拝の批判を受けた瀬長党首の弁明は聞けなかったが、ただ沖縄の日本復帰に際して、宮本顕治党指導部との談合で非合法党の【封印・隠ぺい】を容認しての人民、共産両党間の組織的合流後に、瀬長氏は党副委員長や衆院議員にもなったけど、朝日新聞の《新沖縄報告=復帰から10年》の企画記事によると、「カメさんは個性がなくなった」「演説で下書きを見ることが多くなった」などの県民の率直な声を伝えていた。このように合流後の瀬長氏にはカリスマ性が消え、党役職や国会議員も高齢化により引退したが、非合法党に関しては沈黙のままに、脳梗塞で倒れ二〇〇一年十月五日に九十四年の生涯を終えた。

日本共産党の非合法
 党問題への露骨な
 政治的ごまかし

 さて拙稿も今回で最後となるから、共産党が非合法党問題についてどういう態度をとっているかを再度検証しておきたい。今この案件を知る唯一の手がかりとしては、本紙拙稿第一回目の〈序論〉でも触れたが、私が沖縄タイムス〈日付、前掲参照〉へ寄稿した「『徳田球一全集』を完結して」の掲載に対して、共産党沖縄県委員会イデオロギー委責任者という「刺客」の古謝将嘉君から、同じ沖縄タイムス(同前掲)でかなりよこしまな反論を受けていた。
 しかし、今告白すれば当時、私はプライベートな離婚問題が発生してそこへ時間をさかれて、沖縄タイムス紙上へ反駁原稿を書く精神的な余裕がなく、不本意ながら徹底論争が出来ずに沈黙せざるを得なかった。
 そんなわけで、共産党の非合法党【封印・隠ぺい】行為に疑義を唱えた拙文に対して、党「刺客」が公式見解の反論で示した論法は、第一に、非合法党有無の議論をすり替えて誤魔化したこと。第二は、その非論理的ウソが新聞読者に見破られないように、まるで裁判所の検事のまねごとで私に決定的なマイナス・ダメージを与える手法を用いて、ことの真相を知らない新聞読者が、私への印象を悪くする先入観を植え付けるという露骨な政治的打算で、この問題を雲散霧消させようと情報操作をしていたことだ。

日本共産党と大峰の
 対立点とは何か

 だから、ここで改めて私と党「刺客」両者の論点を整理し検証したい。まず私は沖縄タイムス(八六年十二月三日付)の拙文で、米軍支配下で注目すべきは「奄美大島や沖縄において極秘のうちに結成され、戦後の大衆運動の中核体となって活発に活動していた、非合法共産党の存在であった」と初めて情報公開した。
 次いで私は「占領下で共産党を名乗って運動できないことから、合法面ではもっぱら沖縄人民党の看板と組織ベースを最大限に利用しながら、同時に地下では独自の党活動を地道に進めて行くという、たいへんユニークなマジックで「人民党」と「共産党」の一人二役≠フ前衛ドラマを演じ(ていた)」と明記していたのに、党「刺客」の反論では、「非合法党の存在」についての基本的な事実関係には全く何も触れることなく、ただ次のような見解を述べていた。
「もし、大峰氏がいうように人民党と共産党との一人二役=A人民党は見せかけだけのかくれみの≠ナあったとしたら、人民党はいっそう徹底的に弾圧され、人民党と沖縄県民との結合は大きく阻害され(中略)たことは明らかである」と。勝手にかくれみの§_を持ち出して論点をゆがめていた。また、こうも反論していた。
「もちろん、沖縄には(中略)、本土で日本共産党へ入党し、沖縄へ帰郷してのちも(中略)、人民党の内部や労働組合などで活動した(中略)日本共産党員もいた」。「しかし、人民党内部の共産主義者個々人の問題でなく、全体としての党組織の性格の問題である」。そして結語に「したがって、沖縄人民党と日本共産党とが党組織として一人二役≠ニいう事態は、生まれようがなかった」(以上前掲)。

わたしが生き証人なのだ

 なるほど「刺客」は党のイデオロギー責任者だけあって、ウソをいかに本当らしく書くのかの見本≠展示してくれていた。だけど論より証拠≠ナ私自身が元非合法党員であると同時に人民党へも入党させられていた生き証人だ。
それに一橋大の加藤哲郎教授によって「非合法党文書」が発掘されて、地元紙でも大きく報道されている。
 この非合法党問題については、日本共産党本部で非合法党の窓口担当だった高安重正氏が【隠ぺい】に反対して、宮本議長の逆鱗にふれ除名追放となっている。また、ついでに言及すれば、党「刺客」が全面否定していた中村安太郎著『祖国への道』出版で、党幹部から検閲を受けていた事実に関しても、あるジャーナリストより事実確認の証言が公開の場であったことも、指摘しておこう。
 共産党および党「刺客」も、こうした事実を認めず唯我独尊な態度を取るから一般民衆や有権者から疑惑と不信を買い、総選挙では惨敗が続くのではなかろうか?必要なのはウソではなく、真実を語る勇気だ。もっと詳細に書きたいが紙幅の都合があり別の機会にしたい。
 なお私の場合、復帰協結成後のアイゼンハワー米大統領の来沖に対する抗議闘争へ参加したのを最後に、沖縄での転校復学は投獄経歴≠ェ理由で不可能とわかったので、東京で進学する決断をして止むを得ず非合法党・人民党を自然離党して上京したのである。(おわり)


●付記「筆者よりお詫び」
 本稿第一回目の「はじめに」の拙文はうっかりして、下書き原稿を送ってしまいました。そのために不整合な読みにくい文章となり、読者のみなさんと編集部担当者にご迷惑をかけました。ここに報告してお詫びします。

●「訂正とお詫び、そしてお礼」
 前号の7頁、一段目の六行目に校正ミスがあり、「親米派」を「反米派」に訂正して、お詫びいたします。なお、一年間にわたって好評を博してきたこの新連載も終わりとなりました。読者の中には、「未来」が届いたらまずこの連載のページから読むということも聞いております。前号の「編集室から」にも書きましたが、筆者の大峰林一さんに、心より感謝申し上げます。この続きを企画を新たにお書きいただきたい思いです。―編集部。

「編集室から」新年を迎えて

●「改憲」「共謀罪」「大増税」「福祉切り捨て」「失業及長時間、低賃金労働等々、それによる事故や自殺の多発など」等々、時代の矛盾はますます、深く、鋭く、激しくなって来ざるを得ない。ここ二、三年が、おそらく勝負の年≠ノなるだろうと、私は思う。そうした中で、好むと好まざるとに関わらず、私たち自身の主体の力≠サのものも今までに倍するパワーを求められるだろう。その道は困難だが、まずは一歩から、歩み始めたい。  

(青)

●今年1年をふり返れば、本年初頭よりの関西生コン支部に対する3次にわたる連綿と続く権力の弾圧と、弾圧に屈することなく一歩も引かぬ関生の人たちの闘いだった。何故権力は、躍起となって弾圧するのか?私は二度、東京から大阪の集会に参加した。一度目は4月7日の『人間の鎖』による大阪地裁包囲闘争、2度目は「生コン関連産業の中小企業運動潰しに反対する12・3決起集会」だった。特に12・3集会では、中小企業を引き寄せた協同組合に参加する経営者側からの挨拶があり、労使協同しての「産業政策運動の強化」の生の声を聞くことが出来た。まさに「資本主義の根幹に触れる運動」の意味を実感できた気がする。昨年は、多忙な事務局の仕事に追われるばかりで、あっという間に一年が過ぎた。新年度は、労働者運動を基盤とした新しき党の主体の形成の胎動をさらに広め追い求める年にしたいものです。

(木田)

●関生の弾圧に始まり、弾圧に終わった一年。年末の5名の釈放! 部分的であれ、闘いの成果です。よかった! 武委員長のメッセージにある弾圧の「嵐が若木を育てる」ことを、実感した感動的な一年でした。闘いは素晴らしい、闘う人間は素晴らしい!
 多田謡子反権力人権賞の授賞式でのヘリ基地反対協議会の安志富浩さんのお話を聞きながら、同じことを思いました。これらの人々と共に闘えることを誇りに思う。
 さて、半徹夜続きの作業も終わりが見え、やっと年内発行・発送の目処がつきました。全国の会員・読者のみなさん、ありがとう。この一年の編集部・事務局の皆さんに、お疲れ様でしたと、その労をねぎらいたい。新年こそ正念場、闘いを楽しんで、奮闘しましょう。

(生田)

 第66号(2006年1月号) 沖縄非合法共産党 編集室から