新連載(1)
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| 共産党はなぜ沈黙するのか? |
大峰林一(元沖縄非合法共産党員) |
はじめに
アキサミヨ―!
「アキサミヨー(沖縄方言で非常に驚いた時に使うことばで、「えっ!」に相当)、またユクシ(うそ)がばれたか!」――去る十一月十八日付沖縄タイムスが「沖縄の非合法共産党資料集」発刊について、報道した記事を読んだ人たちが伝えてきた言葉である。
私は、今から五年前本紙(一九九九/七・二五)に「日本共産党への異議申立て=非合法共産党の【隠ぺい】について」寄稿して、当時一般にあまり知られていなかった、沖縄非合法共産党(以下「非合法党」と略)問題について、私は日本共産党なかんずく地元の党県委員会側からの非難、嫌がらせの攻撃を受ける覚悟で、あえて問題提起をしたつもりであった。
いま思えば隔世の感があるけど、やはり事実関係は、いつまでもウソついて誤魔化せないものである。と言うのも、最近、加藤哲朗、国場幸太郎ら非合法党史研究グループが発掘・編纂した『戦後初期 沖縄解放運動資料集』(全3巻)を、不二出版社から刊行を開始したからである。
本資料集は、第一回配本として第2巻「沖縄の非合法共産党資料」をすでに刊行。私も実は、編者より恵贈受けて、いま精読中であるが、この第2巻本には、沖縄の日本復帰以前、米軍支配下において密かに結成され活動を展開していた非合法党の実像について、編者の加藤哲朗、国場幸太郎らの詳細な解説によって、今回、その非合法党の全貌が明らかにされたから、関心のある方はまず、それを読んでもらえば、これまで日本共産党によって不条理に【封印・隠ぺい】されて、不鮮明だった非合法党の実相が理解出来ると思う。
問題の非合法党資料は、日本共産党本部勤務員で、奄美・沖縄非合法党の窓口担当者であった沖縄北部・大宣味村出身の高安重正が所持していた文書だけど、七二年に沖縄返還の実現がはっきりした時点から、宮本顕治党指導部の沖縄対策が、沖縄人民党側と直接連絡を密にする方向へと転換し、よって次第に高安の頭越しに事態が進行して、党本部における高安の存在が、あいまいとなり、それが日増しに党指導部からの圧力に加え、非合法党窓口ポストからの追放が時間の問題との切迫した危機感から、高安は身辺整理を思い立ち、そこで信頼するアカハタ記者へ極秘資料の保管を依頼したものであった、と言われていた。
戦後の沖縄には地下共産党があった
ところで三年前、たまたま別件で聞き取りに福島県へ出かけた、加藤哲朗一橋大教授が先方から、意外な「非合法党資料」の所有を知らされ、そこで元沖縄非合法党幹部だった宮崎県在住の国場幸太郎と再度福島県へ出かけて、沖縄における一九五三年から五七年までの非合法党極秘文書を入手したのである。これは戦後共産党史研究にとっての資料として、実に計り知れない貴重な掘り出し物だったのである。
その加藤教授は、かつて図書新聞(二〇〇〇/一・一五)で渡部富哉編『生還者の証言』を書評した中で、次のように言及していた。「沖縄民衆史に詳しい大峰林一によると、戦後の沖縄には地下共産党があった。合法地域政党沖縄人民党の影に隠れ、今日の日本共産党は存在そのものを認めていないが、五三―五五年頃確かに実在した。最近復刻された『平和と独立』全2巻(五月書房)は徳田共産党時代の貴重な第一次資料だが、そこにも収録されていない非合法沖縄共産党旬刊紙『民族の自由と独立のために』が、少なくとも数号刊行されていた」。
と、加藤教授が来沖して私と会った時に聞いたことを書いているが、さすがに行動する大学人だけあって翌年には、東京都在住で奄美非合法党研究者の松田清所蔵の資料と、先述した福島県在住、元アカハタ記者の金沢幸雄宅から発掘した、手書きの報告書や会議録など合わせて七〇点を入手したと、『大原社会問題研究所雑誌』(〇一/四・五)に「新に発見された『沖縄・奄美非合法共産党文書』について」(上・下)を発表している。
なお地元では、右記の「党文書」をもとに沖縄タイムス(五・二〇)が「五〇年代沖縄に非合法共産党組織=人民党幹部ら参加」の見出しで報道したが、共産党は、この時も公党としての情報公開、説明責任を果たさずに沈黙していた。
公開シンポ「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」
ちなみに東京では、沖縄・奄美非合法党の実態を裏付ける資料文書の発掘公開を受けて、共産党史研究者らによるシンポジウム実行委員会(代表 由井格)主催で、「占領下、沖縄・奄美の非合法抵抗運動について」のテーマで、公開シンポジウムを十一月一七日専修大学において開催した。講師としては加藤哲朗が「沖縄・奄美非合法共産党文書について」発言、次いで金沢幸雄「日共51年綱領と沖縄党文書」、国場幸太郎「沖縄非合法共産党の活動」、森宣雄「奄美と沖縄の抵抗をつなぐもの」、鳥山淳「50年代沖縄・・・島ぐるみ闘争の背景から」、大峰林一「非合法共産党の隠ぺいを追って」、松田清「奄美共産党と沖縄」など、七名の関係者が各自の題目でもって報告が行われた。
実は冒頭でもふれたように、私は本紙に、非合法党の【隠ぺい】問題について書いたけど、専修大学での沖縄・奄美非合法党に関する資料公開後のシンポジウムへの参加者の顔ぶれの多さに、関係者の一人として時間の流れを想い感無量であった。恐らくこうした現象は、ソ連、東欧社会主義ブロックの劇的な体制崩壊と並行して、同共産党が雪崩の如く連鎖的に解体したのを衝撃的に目撃した後に、日本における旧左翼、新左翼運動へのマイナス現象としての党員の落ち込みや活動の衰退と重なったことが、日常活動の見直しへの過程の中で、非合法党問題へも関心が高まったのではなかろうか? と私は考えたものである。
それと言うのも、日本共産党はソ連崩壊に対してもろ手をあげてバンザイ≠叫んだだけで、社会主義体制崩壊の基本認識に基づく理論的総括に取り組めずに、思想的混乱をさらけ出して、今日に至っているのは衆知の通りである。反面、このような歴史的激動から冷静に教訓を汲み取って、わが国における荒涼たる社会主義運動の閉鎖的、独善的で未成熟な既成党派のスターリン主義後遺症の弊害を総点検、その見直しによって、現状における閉塞状況の打破を目指す自覚的な人たちが存在することも看過できない。私の知る限りでも、独創的な政治運動、労働運動や社会主義運動史研究会などを立ち上げて、わが国の社会改革に取り組んでいるが、私は、沖縄の非合法党問題もその民主的改革取り組みの一環でありたいと思っている。
共産党の【隠ぺい】画策が破綻
加藤、国場らが出版した『戦後初期 沖縄解放運動資料』については、地元紙の沖縄タイムス(〇四/十一・一八)が「貴重な非合法党機関紙も収録」と報じ、また琉球新報(十一・二二)は「非合法共産党は一九五三年に結成。当時、人民党書記長だった瀬長亀次郎氏が委員長を務めるなど、人民党中核メンバーが非合法党に参画」と党幹部の氏名公表で報道し、琉球新報(十二・七)には、さらに新崎盛輝沖大教授が寄稿「この資料集は、被支配者である沖縄民衆の側から見た支配の意図やこれとの闘いの実像を明らかにし、沖縄戦後史の全体像を浮き彫りにすることに寄与するものといえる」と、その刊行意義に論及している。実は、私も両紙へ投稿しているが、内容が共産党の【隠ぺい】画策が破綻したことの責任を問うものだから、果たして拙文が掲載されるかどうか、判らない。
いずれにせよ私にとって、この「非合法党資料集」は、やはり感慨深いものがある。と言うのも、私は今から十八年前に沖縄タイムスへ「『徳田球一全集』を完結して」(一九八六/十一・二八から十二・三まで掲載)の一文を寄稿した中で、復帰前の沖縄には非合法党が秘密裏に結成され活動していたことを明らかにして、非合法党員らの活動スタイルは、合方面では沖縄人民党の組織ベースを活用しながら、他方、非合法党としては地下にもぐり独自の党活動を推進するという、きわめて特異な民衆抵抗組織であったこと。従って党員らの任務は、例えば映画俳優が一人二役≠演じる役柄と同じような形態に近い役割であったと書いた。
しかし、問題は一九七三年、沖縄人民党と日本共産党間の「組織的合流」過程で、何故か「非合法党」の実態が、両党の統合前後に民主主義のルールにもとづき一般県民へ情報公開、説明責任が果たされないままに、戦後史の闇に「封印・隠ぺい」されたことに、私は元党員、支持者らの異議の声を踏まえて疑義の問題提起をしたところ、約三ヶ月後に拙文に対して共産党沖縄県委員会の古謝将嘉イデオロギー委員会責任者が、沖縄タイムス(八七/三・十一から十八まで掲載)に「『徳田球一全集』を完結しての大峰林一氏への反論」をよせて、次のような、もっともらしい論断のすり替えで批判していた。
つまり「沖縄人民党と日本共産党とが党組織として「一人二役」という事態は生れようがなかった」と、非合法党の存在を全面否定しながら、さらに宮本顕治党議長(当時)が沖縄へ来県し、人民党と共産党との「組織的合流」を決定した直後に、ラジオ沖縄記者の「こんどの大会(註、人民党第一七回大会)で、人民党は共産党だとはっきりしたわけだが・・・」との質問に対して、宮本議長が広言した見解――すなわち「いままで共産党があったが隠していた、というのではなくて、民主的な大衆政党から、・・・日本共産党の立場に移行すると言うことだ」との指摘を引用して反論を合理化していたが、当時、共産党側のそんなよこしまな主張が元党員、支持者および新聞読者などをあざむく行為であることに、反論者は気がついていなかった。
ともあれ、私は批判の内実がどうあろうと反論は自由だとの立場だった。ところが反論が新聞に出た直後から、わが家には深夜〇時から夜明け前の五時、六時頃まで嫌がらせの無言電話が十分おき位かかってきて、それが一週間も続き安眠を妨害されるという体験をした。私が、その時実感したのは、共産党を批判する者には旧ソ連と同様に、現実に日本でもスターリン主義の非人間的な悪しき抑圧粛清¥e殺)の悪しき体質から、いまだに脱皮出来ずに引きずっていることを確認したことだった。しかも後日、共産党のこうした嫌がらせ行為が組織ぐるみの犯罪だった、と判明したのは、ソ連社会主義国の崩壊直後に、ある党員から、私へ謝罪の内部告発があっての事だった。
私が日本共産党指導部へ問いたいのは、非合法党の実録資料が公表された以上、いつまでも姑息に「隠ぺい」問題にしらを切って沈黙しないで、公党なら影で陰険な嫌がらせをしないで堂々と事実を広報すべきではなかろうか。そうでないと、党自身が、民衆より不信を受けて歴史の彼方へ忘れられることになりかねない。
日本復帰三十年余、非合法党についての本格的な党史研究が期待される時点で、私なりの非合法体験の証言手記を連載で綴ってみたい。
(敬称略・次号へつづく)
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